画家の身分と職分

画家の身分と職分

『美術手帳』の10月号で山下祐二が「教育方法を現行の美大システムから、丁稚奉公、徒弟制度に戻さない限り、なかなか超絶技巧を持った作家は生まれてこないでしょう」(「超絶技巧の絵画史」)とコメントしているが、山下の発言には「丁稚奉公」「徒弟制度」が前提としていたのは、身分制度によって職業が固定化されていた社会という理解が欠けていると思われる。身分制度によって職業が固定化されている社会では、社会的地位の上昇は望めない。そのため人々は自分の活動が許されている職業分野で業績をあげることを目標とするしかなかった。従って、もし丁稚奉公や徒弟制度が有効に機能していたとしたら、それは日本の近世が特定の分野での成功を目標とするしかない状況であったからである。

しかし現代は、江戸時代のように身分と職業が結びついた社会ではない。現代では誰にでも職業を選択する自由がある。例えば画家という職業を、昨日まで全く別の職業や学問に従事していた人が突然目指すことも可能である。もちろん「誰にでも」といっても、それは誰でも画家になれるという意味ではない。しかし画家という職業が、ある特定の身分に属する特権ではないということは重要である。なぜなら身分と職業が結びついた社会では、職業とは身分に属する特権であったので、他の身分の人間は絶対にその職業に手を出すことが出来なかったからである。それ故、徒弟制度が成立したのである。山下は学校教育の普及と写真技術の登場によって徒弟制度とそれに付属する技術が失われたと考えているようだが、徒弟制度が崩れた要因としては、職業が身分に属する特権でなくなり、新規参入が可能となったことが大きい。

山下の発言は、明らかに現状に対する不満から必要以上に過去を美化したものである。彼に理解出来ていないのは、おそらく次の二点である。一つは近代化によって、絵を描くことを生業とすることが「身分」から開放されて、「職分」に変わった事。もう一つは知識が一般化することによって、「職分」から「趣味」へという流れが起きたことである。つまり職業として成立することを前提としないで絵を描くことが可能となる時代が到来したのである。「趣味」というと聞こえが良くないかも知れないが、有史以来、現代ほど職業とすることを前提としてないで絵を描く人がいる時代はないのである。しかし職業とすることを前提としてないで絵を描ける時代の到来は、趣味で絵を描くことの難しさを知る時代であったともいえる。逆説的ではあるが、絵というのは職業として成立していた方が描きやすいし、幾らでも描けるものである。もちろん能力の差によって、地位や収入の安定などに違いが生まれるが、末端に食い込めばそこそこやっていける。これは他の業種の事を考えてみれば分かりやすいと思うが、仕事だから出来ることは案外と多い。

これに対して趣味で絵を描く行為には、「仕事だから」というような動機、モチベーションは発動しない。それは自分で見つけるしかない。江戸時代なら、士族階級に限定されるが文人趣味のような共有されるべき理想があったが、今はそのように共有される理想がない時代である。共有される理想がない時代に趣味として絵を描くことはことさら難しい。職業として成立している絵画に対して「売り絵」という侮蔑が投げかけられたのは、こうした時代の困難さから逃れていると思われたからである。しかし、こうした状況が続くのは辛いことなので、反動として、やはり職業として成立していた方がよいという動きがおこる。山下以外にも「徒弟制度」ということを口にする人が多いのは、「身分→職分→趣味」という流れよりも、「趣味→職分→身分」という流れで、身分に固有の意味を求める動きを歓迎しているからである。たとえば村上隆もその一人だが、徒弟制度というのは、先に書いたように身分制度を前提とした方が維持するのに都合のよいものである。しかし現代は近世のように身分によって職業を差別化(制度化)することが出来る時代ではない。そこで職業としての収入の低さや、歴史的背景の低さを語ることで、新たな職業差別のヒエラルキーが作り出される。

村上が歴史的実証性を無視して、あたかも江戸時代の画家が遊女や非人と同じ身分階級であったかのように騙るのは、そうした為であろう。しかし、なぜ彼らは、そこまでして趣味であることを攻撃しなければならないのか。おそらく、それは身分と職業が結びつくことで生まれる芸術(つまり世襲化、家元化)にとって、最大のアンチ・テーゼとなるのが趣味であることを知っているからである。世襲化、家元化した芸術は形式化、形骸化から逃れられない。そして、それを脅かす存在であり続けるのが趣味なのである。

『美術手帳』(2012.10月号)特集「超絶技巧!!」

NHK出版による本かと思うほど、ここ最近のNHKのテレビ番組(「日曜美術館」など)と内容が重なる特集記事であるのだけれど、山下祐二の「この日本には、時流やマーケットの動向なんてものとはさらさら関係なく、ただひたすら、修行僧のように、自らの技巧を突き詰めている作家たちがいるのです」という解説文で気をつけたいのは、「修行僧」といった言葉が使われているが、ここで紹介されている作家の作品というのは、基本的に現世(世俗)主義的、享楽的な作品であって、禁欲的な要素などどこにもなく、むしろ欲望肯定的であるということ。
ここでは技術というものが、マゾヒスティックな苦行を前提としたものとして語られている。なぜこうした論調で技術や作品というものが語られてしまうのかというと、おそらく日本では「修行僧」的な精神主義に対してマイナスのイメージが少ないからだと思う。多くの人がストイックな精神主義をありがたる。しかし、例えば日本の仏教には戒律に対しての厳格さはなく、むしろ戒律の緩さを相殺するかのように苦行が求められているという一面もある。激しい修行・苦行を要求するが、最終的には現世的で、欲望を受け入れるというのが日本の仏教の特徴なのだが、これは日本の美術の特徴でもあると思う。
確か日本の宗教美術に形而上作品は一つもない、全て現世利益を願った形而下なものであると言ったことを主張されていた宗教学者が居たと思うけれど、これはなかなか面白い指摘で、確かに日本の美術というのはみな現世的であって、超越的な世界を描いた抽象的な作品というものはほとんどない。今回の特集記事で紹介されている作家の作品というのも、みんな現世的、欲望肯定的な作品であると思うのだけれど、なぜかストイックさが強調されて、作品に見られる享楽さに眼がいかない。これでは日本の仏教が修行僧的な苦行を自己目的化することで戒律の空洞化を誤魔化したのと同じである。おそらく一番の問題は、技術(技巧)ということを問題にしておきながら、技術を技術として語る作業が疎かにされていることである。ここでは技術が語られる代わりに細部性が語られそこに芸術が宿っているとされているが、細部に宿らない芸術もあるということを理解しなければならない。

奈良美智と侏儒趣味

16〜17世紀頃、ヨーロッパの王室宮廷では侏儒趣味、つまり小人に対する偏愛が流行していて、ベラスケスなんかが随分と絵に描いている。この辺の事情については、樺山紘一の「侏儒の王国−異形にやどる英知」(『世界史への扉』講談社学術文庫)を読んでもらえれば大体の事は分かると思いますが、樺山がそこで述べている美術史に於ける「侏儒」から「子供」へという、偏愛・愛玩の対象の移行は、奈良美智という作家の作品或いは評価、人気を理解する上で大いに役立つと思う。
例えば奈良の描く「子供」と、ベラスケスの描く「侏儒」(小人)を比較してみると、なぜ描かれるのが尋常普通のモデルでなく、極端に短身な「子供」「侏儒」というモデルなのかということも、両者とも先行する規範的なモデルからの離脱として選択されていることが分かる。ベラスケスの場合は、ルネサンス的な遠近法尺度から離脱するマニエリスム的或いは、バロック的な要請であるし。奈良の場合は「ヘタウマ」という技術的な逸脱を試みるのに適切な対象であったといえる。侏儒に対する偏愛が「白雪姫」という七人の小人が登場するユートピア(物語)を生んだように、松井みどりは奈良の作品から能天気なユートピアを見出して語る(2010-07-10 - 同心町日記)。等々、両者を比較するといろいろと面白いことが分かると思うのだけれど。ベラスケスは侏儒と子供(例えば「王女マルガリータ」)を描き分けられる人であった、というか何でも描ける人であったので、単純に奈良とベラスケスを同等に論じることはしない方がよいかと思う。


ベラスケス「ラス・メニーナス」(部分)

ポロックの「非ヨーロッパ的性格」について

「生誕100年ジャクソン・ポロック展」(国立近代美術館)についてのメモ

ヨーロッパとアメリカという対比からポロックの絵画について考察すると。おそらく両者の一番の違いは、テクストの有無である。ヨーロッパには聖書やアリストテレスといった、常に立ち戻るべきテクストが存在するが(これによりルネサンス宗教改革といったものが可能となっている)、アメリカは、ヨーロッパを否定するために、この部分を切り捨てた。アメリカは、構造主義や人類学を総動員して、ネイティブ・アメリカンに代表されるような「無文字社会」を自らの文化の基盤、土台とすることを選択する(歴史から構造への転換)。ポロックのインディアンに対する関心(たとえば砂絵)が、どの程度のものであったのかは不明だが、ポロックの作品の評価に対する背景に、こうしたアメリカの文化的戦略があったことは想像に難しくない。特に重要なのは「無文字社会」というアメリカの文化的戦略が、結果としてことばとイメージ(絵画)という、ヨーロッパの絵画が抱える問題を解消してしまったと思われる点である。

聖書の「はじめにことばがいた」とい箇所からも分かるように、キリスト教というのはことばの宗教である。しかし、ことばというのは文字として視覚化されると、非物質的なものから、物質的なものへと変わる。さらに中世の装飾写本に見られるように、その内容に見合うだけの装飾性が与えられると、それまで「読む」対象であったはずのものが、「見る」対象となる。今日では、視覚の優位性が疑われるということはないが、視覚の優位性というものが確立されるには、神やことばという非物質的なものに、物質性が与えられて、それらが視覚化されるだけでは不十分であって、視覚化されたそれらのものが、「読む」対象ではなく、「見る」対象と認識される必要があった。しかし「無文字社会」を前提とした絵画では、「見る」という行為に、「読む」という行為が関係してこない。そこでは「見る」ことは、「見る」ことでしかない。であるから、ポロックの絵画は「見る」ものであっても、「読む」ものではない。では、「見る」ことしか可能でない絵画とは何なのか。このことを考える前に、もう一点、ポロックの作品に見られる非ヨーロッパ的性格を指摘しておく必要がある(もしかしたら、こちらの方が重要な点であるかも知れない)。それは「触覚」の有無である。

ヨーロッパというか、キリスト教世界においては、「絵画の発生」というのは、「聖顔布」という奇跡を前提として語られるものである。ここでいう奇跡とは、「マンディリオン」とか、「ウェロニカ」と呼ばれるもので、それはキリストの身体(顔)に直接触れた布にキリストの顔が奇跡的にコピーされたもののことを指す。ここで重要なのは、実際にそのような奇跡が起きたのか、どうかではなく。モーセ十戒(「あなたはいかなる像を造ってはならない」)で知られているように、キリスト教というのは、本来は偶像を禁止している宗教であるのに、実際には、絵画や彫刻という美術品が作られており。このことをどう正当化するのかという時に、「奇跡」ということが、その理由とされたことである。人間の手によって描かれたのではなく、キリストの身体に触れられた布に、本来なら不可視な存在であるはずの神の姿がコピーされたこという奇跡から、それを母型としたイコンが生産されていくのだが(ギリシャ正教でイコンの形式が守られ続けているのは、こうした理由からである)、ここで重要なのは、神という不可視な存在が、触覚によって視認化されているということである。つまりキリスト教世界では、神やことばという見えないものが、視覚化されるには、触覚を通さなければならなかったということである。

キリスト教というのは、ことばの宗教であるから、視覚の上に、ことばが位置することには不思議はないと思うが、視覚の上に、触覚が位置するのは、聖遺物に対する信仰が非常に強いので、触れるということが、とても大事にされていたからである。従って、イコンというのも、口づけをしたり、手に触れたりするものであった。つまり、本来なら見えない神の姿が触覚により視覚化されるだけでなく、それに触れることによって、見えない世界、つまり神の世界に近づくというサイクルが存在していた。視覚というのは、今でこそ、その優位性が疑われることはないが、もともとはことばという非物質的なものを聞くことが可能な聴覚、そして触覚に次ぐ、三番目に位置するものであって、今日の視覚の優位性が確立されるのは、比較的最近のこと、トレント公会議以降のこととなる。視覚の優位性が確立されるに従って、当然、イメージ(絵画)に触れることが出来るのは、それを制作する画家だけの特権となるのだが、ポロックは、この画家だけに許された特権を破棄するのである。

『アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語』/宮城県美術館

丸沼芸術の森所蔵の作品群。水彩による習作が多数展示されていたが、それらはデッサンを引き立たせるものではなく、対象を色彩で素早く大まかに捉えることを目的としているものであった。荒目の水彩画紙に染みや滲みの効果を用いて建物(オルソン・ハウス)の外観や内部(室内)が描かれているのだが、特徴的なのは建築物に付属する水平と垂直が画面を構成する要素となっていること。特に重要なのはドア枠と窓の格子の使い方であるのだが、『オルソンの家』に見られる納屋の柱を用いた垂直性や、『海からの風(習作)』や『さらされた場所(習作)』などの作品に見られる窓の格子、つまりグリットの使い方などを見ると、案外、モダニズム的な要素に規定されていた作家であったのかも知れない。

水彩による習作を見ると、ワイエスがデッサンと同じぐらい、絵画を構成する要素として、「染み」や「滲み」を重要視していたことが分かる。「染み」とは、「見る」ことだけを前提としているものである。そこには読まれるべきテクストが存在しない。一般的にワイエスアメリカ抽象表現主義の対極にいたと思われる画家であるが、「染み」や「滲み」には、抽象表現主義がヨーロッパを否定した方法と共通する部分もある。抽象表現主義においては「意味」ではなく、「行動」が選択されることで、アメリカ的価値が体現、確保されるが、ワイエスにおいては、意味(あるいは物語)は、具象という形で確保され続ける。しかし、そこにはヨーロッパ的な「色彩=光」といった考えはない。このことはワイエスの「青」の使い方に端的に表されている。おそらくワイエスは青の有効性を認識していただろうが、光の探求というヨーロッパ的な要請が自身にないため、ワイエスの絵画では光の探求は行なわれない。

石川雷太展『遊撃〜平成パルチザン』/Gallery TURNAROUND

赤く塗られたベニヤ板に白チョークで文字が書かれている部分だけを採り上げて見れば、「見る」ものとしてではなく、「読む」ものとして、作品が提示されていたと言えなくもないが、イメージの否定(「イメージで世界を描く時代は終わった」)から、「ことば」の選択がなされている割には、イメージが否定され切れていない。もし、本当にイメージというものを否定して、「ことば」を選択するというのなら、プロテスタント並みにテクストから色彩を追放すべきではないのか。イメージの否定というのはイコノクラスム(偶像破壊論)だけでは完了しない。それはクロモクラスム(色彩破壊論)も必要とする。15世紀に、聖書というテクストから色彩が追放されてモノクロのテクストが登場普及するのは、グーテンベルク活版印刷が登場することによって手描きによる彩色写本が廃れたからではない。それは技術的な問題ではなく、思想(信仰)を巡る問題である。

石川の赤地に白抜きの文字で構成されたテクストは明らかにイメージの否定としては不完全なものである。チョークで殴り書きされた文字にデザイン性は感じられないが、赤地に白抜きされた文字には十分にデザイン性があり、色彩がもたらすイメージの効果が最大限活用されている。石川は「物質で「美術」を破壊する」というが、ここで石川のテクストを作品として成立させているのは色彩という物質である。そもそも「ことば」という非物質的なものに、物質性を与えられたものが「文字」である以上。文字を用いている作品から物質性を排除し、それを否定すること自体が無謀なことなのである。

文字を用いている作品から物質性を排除することは難しい。しかし、それを「見る」対象としてではなく、「読む」対象として提示することなら幾らかは可能である。たとえば彩色写本である。それは文字に色彩が与えられ、装飾・デザイン化されることによって、次第に「読む」ものであると同時に、「見る」ものへと変化していった。従って、「読む→見る」ものではなく、「見る→読む」ものとしたいなら、この逆を行けばよいのである。つまり、色彩という物質を排するのである。しかし、石川の作品には色彩がある。白抜きの文字を支えているのは赤い地である。それは何故か。おそらく無意識の領域で視覚の絶対的な優位性が確保されているからである。

「ことば」というものを感知するのは視覚だけではない。「ことば」は、文字として視認出来なくとも聴覚で聞くことも出来るし、点字のように触覚で認識することも出来る。というか、16世紀に視覚の優位性が確立されるまでは、むしろ聴覚や触覚の方が視覚よりも「ことば」という非物質的なものを認識するのに適していると考えられていたと言ってよい。しかし、イメージを否定する石川の作品が示しているのは視覚の優位性である。もちろん聴覚に関しては、石川にはノイズ音楽によるパフォーマンスがあるので多少留保しなければならない点があるが、それでも彼の作品(テクスト)は音読されなくてはならないものだろうかと考えると。やはり聴覚ではなく視覚を前提とした作品。つまり黙読されることを前提としたテクストであると言えるだろう。触覚に関しては、触れば消えてしまうチョークで書かれているだけでなく、有刺鉄線によって完全に拒絶されている。

石川は「制度」を問題とする。しかし、石川の作品が示しているのは美術というものが、いかに視覚の優位性に立脚しているか、物質性によって成立しているかということではないだろうか。もちろん、このことを「制度」と呼んで攻撃することも可能だ。有刺鉄線を乗り越えて文字を消してしまえばよい。しかし、石川の示すテクストはその先に何があるかは答えてくれないだろう。石川の作品が示すのは、視覚の優位性や作品の物質性に対する攻撃ではなく、美術というものは視覚の優位性と作品の物質性によって成立しているという事実であると思うのは、私だけだろうか。