2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『前衛のみやぎ』

宮城県美術館で開催中の『前衛のみやぎ』展について。ちょうど同館を訪れたと時に、針生一郎の講演会(「戦後の前衛芸術運動と宮城の作家たち」)が関連企画として開催されていたので聴衆したのですが、印象に残ったのは、針生氏の「前衛」を問う(或は問題…

「国際展の現在」

情報に疎いので、『REAR』という芸術批評誌の最新号(no.21)を見るまで知らなかったのですが、2010年に愛知で「あいちトリエンナーレ」なるものが開催されるらしく、『REAR』の誌上で芸術監督を務める建畠哲を囲んで、三田晴夫、岡部あおみ、福住廉、による…

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展(2)

「シーグラム壁画」の展示を高いと見る意見があるようだけれど(おそらく「シーグラム壁画」を「高い」と見なす意見の大半は、「美術館」の目の高さに作品を展示する視線を前提としたものだと思うのだがけど)、「高い」とは、「低い」の違いによってのみ定…

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」/DIC川村記念美術館 | Kawamura Memorial DIC Museum of Art今回、展示されていた「シーグラム壁画」の特徴というのは、ロスコの絵画の特徴である「水平線分割」が、非物質的な光(色彩)の矩形が持つ正面性が強調された作…

村上春樹『1Q84』(2)

Book2「第11章(青豆)均衡そのものが善なのだ」を読むこの章で下敷きにされているのは「マタイ伝第4章」である。もっと厳密に言えばドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』の中で、イヴァン・カラマーゾフに語らせた「大審問官」であるのだが、ここで重…

村上春樹『1Q84』

『1Q84』というタイトルは、ジョージ・オーウェルの『1984』を連想させるタイトルである。しかし、ここで意識されているのは、ジョージ・オーウェルよりも、ドストエフスキーであり。目指されているのはドストエフスキー的世界を形而下の世界で物語る…