『前衛のみやぎ』

宮城県美術館で開催中の『前衛のみやぎ』展について。

ちょうど同館を訪れたと時に、針生一郎の講演会(「戦後の前衛芸術運動と宮城の作家たち」)が関連企画として開催されていたので聴衆したのですが、印象に残ったのは、針生氏の「前衛」を問う(或は問題とする)一貫した姿勢というのは、氏の「戦争体験」に負うところが大きく。直接の起因となっているのは「作品」ではないと思われることと。戦前の美術批評の持つ書生的な体質と、その趣味性に対する批判として、氏が自己の無趣味・悪趣味を挙げていたことです。

もっとも無趣味・悪趣味と言うのは、本人とってはかなり不本意な言葉であるのでしょうが。問題なのは、趣味性に対する無趣味性(或は悪趣味性)という対比が、現在では批判として成立しないと言うこと。それは戦前の美術批評に対する批判としては有効に機能する対立項であったのだろうが、無趣味・悪趣味がこれだけ無知として前景化してしまった現状では、むしろ望まれるのは趣味性の回復です。

針生氏が「現代美術」でなく「前衛」を問う背景には、「前衛」といものに全体主義に対抗する(個人的主体性ではなく)集団的主体性の可能性を見ているからだと思われるのですが、このような問題意識が共有されるのに必要な「戦争体験」若しくは「記憶」が失われていまっている以上。その言葉にどれだけ説得力があったとしても、現代美術を対抗文化として語ることしか出来ない幼児的な批評と作品の台頭を許すだけと考えますが、思うに、日本の美術批評に今必要なのは、小熊英二が『<民主>と<愛国>』(新陽社)で見せたような視点で、戦後の美術史を捉え直し検証することを可能とする広い視野ではないだろうか。

最後に、針生氏は、今回の展覧会に接して「宮城は思ったほど不毛の地ではなかった」と、かなりオブラートした言い方をなされていましたが、宮城(というか仙台)というのは「美術が不毛な地」であると思う。それは歴史的にこの地が長らく中央の行政府であった事と間係しているのかどうかは分かりませんが、何処か文化が蓄積され難いところがあるというのは事実であって、そうしたことを認識しないと。たとえば針生氏が苦言を呈していたように、このような展覧会が企画され開催されてもカタログが制作されないという問題は解決されないと思う。