2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

樋口佳絵・絵画展「みずたま」(art room Enoma)

色使いがロマネスク絵画的。意識しているのか、色数を制約しているのかは分からないが、褐色した赤を基調にした色使いで子供の「イコン」が描かれている。ゴシック以降に登場する彩度の高い「青」は見られない。テンペラと油彩による混合技法が用いられてい…

樋口徹写真展「町の跡形」(PICNICA)

ギャラリー・カフェという空間の制約から、窮屈な空間に作品が展示されていたが、津波で流された建築物の基礎部分を撮影した写真郡がベッヒャー夫妻のタイポロジー作品のように組合せられて展示されていたのは印象的であった。ただ写真集『町の跡形』(会場…

テーブルとタブロー

テーブル(table)とタブロー(tableau)の関係性は、tabulaというラテン語の語源から考えるよりも、ゴッシク建築の確立によって生まれた概念、関係性と捉えた方が、より具体的なものとなる。なぜ、ゴシックなのか。ゴシック建築ではステンドグラスという「…

床面について(補足)

床面を、文化を産出する机の下にあるものと見ると、必然的に床は机の文化に対抗、反抗する反文化的な場と見られることなる。しかし床というのは、文化を産出する場であったことはないかも知れないが、過っては世界を表象する場であった。もしかしたら建築を…

境澤邦泰「絵画と視線の行方」(『組立−作品を登る』)

絵画の平面性とテーブルの平面性の関係が、画家の視点から分かりやすく書かれているという点に於いて、非常に優れた文章、論考であると思うのだが、ただ一点だけ、「床面」についての件には少し物足りなさを感じる。床は、ただ足の裏で踏まれるだけの場なの…

気仙沼

椹木野衣「五百羅漢とは誰か」(『美術手帳』2012.4月号)

カタールまで村上隆の個展を見に行っているのは凄いことだと思うが、肝心の作品については、ほとんど何も語られていない。何故、語られるのが「作品」ではなく「作家」なのか。観者が求めるのは「作品」と対峙することであって、「作家」と対峙することでは…