椹木野衣「五百羅漢とは誰か」(『美術手帳』2012.4月号)

カタールまで村上隆の個展を見に行っているのは凄いことだと思うが、肝心の作品については、ほとんど何も語られていない。何故、語られるのが「作品」ではなく「作家」なのか。観者が求めるのは「作品」と対峙することであって、「作家」と対峙することではない。観者が作家ではなく、作品と対峙することを求めるのは、作品こそが開かれたテクストとして眼の前にあるから。作品がテクストとしてあるとは、作品が、作家の意図から離れ、再構成、再発見されていくことを意味する。しかし、ここでは作品ではなく村上隆との直接的な関係性が要求される。何故、作品ではなく作家との直接的な関係性が要求されるのか。

作品をテクストとして見るとは、自由な批判、解釈を許すことである。しかし自由な批判をされると、私の素晴らしい作品や考えが勝手に再構成されて、素晴らしいものでなくなってしまうと恐れる人たちもいる。それでは困るので作品は作家の意図あるいは意味に従属するものとして、作家を介さなければ作品については語れない状況が作られようとする。作家と作品を同一視する考えに疑問を持たせないのに、もっとも都合の良いのが徒弟制度的な「話し手−聞き手」という縦の関係性である。

「話し手−聞き手」という関係性は、それがどんなに直接的な一対一の関係性であっても「聞き手」に能動的であることを要求する。例え椹木が言うように村上が敷く徒弟制が親密な関係のものであったとしても、上にいる人間が下をならわしめることに変わりない以上、「話し手−聞き手」という関係性は維持され続ける。従って椹木は、ここで近代の教育システムと徒弟制度とを差別化してみせているが、「話し手−聞き手」という関係性においては両者に大した違いはない。

「話し手−聞き手」という関係性を打ち壊すのは、「テクスト−読み手」という関係性である。「テクスト−読み手」という関係性は日本では江戸時代後期に、「会読」という、一つのテクストを集団で読むという学習方法によって既に試みられている。江戸時代という身分が固定された時代に身分や年齢を超えて自由に討議意見出来る場が確保されていたことは注目に値するが、「会読」の画期的なとことは、同じ志を持ったものが共通のテクストを前に、同志として横に並んだことである。これは知識の独占を前提としていた封建的な「話し手−聞き手」という縦の関係とは大きな違いである。

会読が前提としているのは知識の共有である。その成果は、例えば杉田玄白の『解体新書』のように広く世間に知らしめられることになる。このことは蘭学だけでなく、国学朱子学といった分野においても確認出来ることであるが、これに対して「話し手−聞き手」という縦の関係性は知識の独占を前提としている。何故、知識が独占されるのか。このことについては内藤湖南が「応仁の乱について」の中で面白い考察をしている。湖南によると知識が独占されるのは、それが知識人たちの自衛法であったからである。つまり、知識を世間に広く知らしめることで後代に残すのではなく、知識を自分の頭の中だけにインプットしておいて、私がいなくなれば全て失われますよという状況を作り、知識でなく我が身を守る術とするのである。例えば細川幽斉という戦国大名がいるが、この人はこの時代、唯一『古今集』の伝授していた人であったので、この人が死んでしまうと、もう誰も『古今集』の伝授が出来なくなってしまう。そうなると困るので、朝廷から戦をやめろという使者が来たりすることになる。

「伝授」という「話し手−聞き手」の関係性の中においてでしか、正しい知識が伝わらない方法が成立するには、知識というのはむやみに人に教えたり書き残したりしてはいけないものとなるのだが、椹木が、「もの」でなく「生身の身体」を選択し、「人がいなければ、もとよりハイコンテクスもなにもない。すべては無に帰すだけだ」というとき、どのような立場に身を置いて発言をしているかを、想像することはそれほど難しくないと思う。つまり誰でも簡単に知識にアクセスが出来て、自由に批評を行われては困る人たちが少なからずいるということだ。