美術教育を批判していれば現代美術になる

日本の美術教育に問題があるのは確かだけれど、一番の問題は、現役の学生でもない人達、もう美術学校を卒業して何十年も経つ人達が延々と美術教育に対する批判を言い続けていること。何故、現役の学生でもない人達が美術教育にたいする批判を言い続けるのかというと、美術教育に対する批判が現代美術と見做されてしまっているから。否定すべき権威が美術教育ぐらいしか見出せないというのは、本来なら恥ずかしいことであるはずなのだが、美術教育に対する批判を言ってればいいと言う、楽な状況は簡単には手放せない。だから彼等は、これから先も延々と美術教育に対する批判を言い続け、それを現代美術と見なすだろう。戦前の日本の美術を保証していたのは、日本民族の先天性であったが、どうやら戦後の日本美術を保証しているのは、「教育」という後天性に対する批判のようである。しかし「教育」について、どうのこうのと言う奴の大半は、若い人達に対する影響力を保持していたいだけのロクでもない連中なので、関わらないのが賢明な選択。