小森はるか+瀬尾夏美「あたらしい地面/地底のうたを聴く」展/ギャラリー・ハシモト

ギャラリー・ハシモトで開催されていた小森はるか+瀬尾夏美「あたらしい地面/地底のうたを聴く」展について。前作(「波のした、土のうえ」)と比較すると、被写体となる人物たちとカメラの距離が一歩踏み込んだ距離、関係になっている印象を受けたが、それ以上に気になったのは嵩上げされた大地・高台が迫ってくる圧迫感である。被写体となる人物たちの背後には常に造成された高台が控えているので、作品は終始、浅い空間の中で進行して行くことになる。しかし、一瞬だけ奥行きのある光景が映し出される。それは造成された高台の上からの光景である。
「新しい地面」から見渡す光景はSFのようである。しかし、私にはそこから見える光景をどう理解したらよいのかが分からない。そこに「未来」や、或いは「崇高」なものを見るべきだろうか。「新しい地面」に立てば、迫りくる圧迫感から逃れることが出来るかも知れない。しかしそこは一体、何処なのだろう。
映像の画面を見ると、嵩上げされた大地は大別すると3段、細別すると15段の堆積土で形成されているように見える。将来において、この嵩上げ堆積土層がどのようにカウントされるかは分からないが、仮にこれを15層からなる堆積土層と見なしてみると、15層というのは、層位数だけでいえば、たとえば仙台市の沿岸部ならば2000年前の津波の堆積物が出土する層位数*1になる。「なにか大変なことが起きている」の「なにか」とは、こういうことである。もちろん地域や場所によって違いはあるだろうから、一概に「2000年」とは言えない。しかし、それが1000年であろうが、10年であろうが、造成された堆積土層には一切の記憶が刻まれていないのである。記憶を持たない層が堆積していく、これほど恐ろしいことがあるだろうか。正にSF的である。
こうした状況下で「地底のうたを聴く」という選択肢が出てくるのは至極当然だと言える。そこでどういう方法が選択され、どういう方向に向かうのかは、まだ分からないが、今後の展開を期待したい。

*1:あくまでも層位数であって、深さではない。深さでいうと、仙台市沿岸部で2000年前の津波堆積物が確認出来る深さは5メートル弱であるが、陸前高田の嵩上げ工事は3倍の15メートルになる。