「廃屋の美学」

4月15日 晴れ

被災地の映像を見て、敗戦直後の焼け野原を思い浮かべたのは、たぶん私だけではないと思うのですが、実際に津波に襲われた海沿いの小さな集落を歩いてみて思ったのは、敗戦後の焼け野原ではなく、上田秋成の「浅茅が宿」(『雨月物語』)の世界の中に、自分が入り込んでしまったのではないのかという錯覚であり、不気味さでありました。この不気味さは、間違いなく怪異的な恐ろしさであったと思います。


4月16日 曇り

江戸文学の研究者である高田衛が『江戸文学の虚構と形象』(森話社)の中で、上田秋成を論じながら、「廃屋の美学」ということを言っています。高田が廃屋の不気味な「美」から、「現世を侵犯してくる」「隠れたアニミズム」を読み取り、「闇の美学」を語っていることの重要性というのは、アニミズム、あるいは自然というものを、人間と共存可能なものとして捉えていないところにあります。

日本の美術界では、つい最近までアニミズムを、自然と共生可能なユートピアと見なし、それが西欧近代に対する批判として機能するものと見なす風潮がありましたが、人間の尺度を越えた力によって破壊された風景が物語っているのは、人間の根源的な孤独さです。彼らが批判した西欧社会には、この世の不条理を訴えることが出来る「神」がいますが、能天気なアニミズムには不条理を訴える神すらいません。