4月17日 晴れ

「廃墟の美学」ということが一時、日本の美術界でも話題になった時期がありました。ただ私の記憶する限りでは、「廃墟の美学」というのは、西欧の「石」の文化において成立するものであって、日本の「木」の文化においては成立し得ないものであるという意見が大勢であったと思います。なぜ日本においては、それが成立しないと見なされたのかというと、木造建築というのは、石と比べると時間的耐久性が弱く、いずれ跡形なく消滅するという前提が共有されているからです。しかし高田衛上田秋成を論じることで、「廃屋の美学」という、本来なら語りえないものを語ることが可能であることを示してくれています。

もちろん「廃屋の美学」といっても、今、私たちの目の前にある風景が美的対象として目の前にあるということではありません。そこで示されているのは「廃屋」という、本来なら語りえない対象に「物語」という構造が与えられることで、秋成が死者との対話を可能としているということです。今、私たちの目の前には語りえない風景があります。この語りえない風景を、私たちは語られなければならないのです。