新関淳の『フクシマと福島』について

新関淳の『フクシマと福島』について

新関淳の『フクシマと福島』(「6号線」のフリーペーパー)は、新関が両親の生まれ故郷である福島県伊達郡川俣町に、友人2人と車を走らせた記録で、写真と文章で構成されている。水平線が強調された写真(車窓の風景を感じさせる)と文章、共に好感が持てるが、自身のルーツである「福島」に車を走らせた記録としては、古川日出男の『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮社)が先行してある。「先行してある」というより、様々な葛藤を抱えながらも福島に向かった人たちが幾人もいたという証の一つとして、新関の「フクシマと福島」もあると言うべきだろうか。両者に共通しているのは、たとえ帰還が叶わなくとも戻るべき場所として福島があり。その場所性から「フクシマ」ではなく、「福島」が語られていることである。しかし、ここで注視したいのは両者の共通点ではなく相違点である。

新関の『フクシマと福島』も古川の『馬たちよ』も共に福島の記録である。しかし新関が最初に決められた「日帰り」という約束事をきちんと守り、東京の日常に戻っていくのに対して、古川の『馬たちよ』では、旅の途中で古川と古川の小説の登場人物との対話が始まり、現実の世界から架空の世界に流出していく。古川の選択は明らかにドキュメンタリーの逸脱である。しかし、そこには逸脱という言葉だけでは説明できないものがある気がする。何故なら、アライダ・アスマンが指摘するように「芸術の永遠願望は、核廃棄物において実現されている」(『想起の空間』、水声社)からである。

核廃棄物と芸術の相同関係を前提にすると、福島の被災地で人間の居ない世界の美しさ(或いは穏やかさ)を眼にした古川が、架空の、おそらく「時間を持たない」世界を選択したとしても不思議はない。何故なら時間性において芸術は核廃棄物に負けているからである。これに対抗する手立ては極めて少ない。造形芸術であればキーファーの様に鉛を素材として選択する手があるかも知れない(「二つの大河に挟まれた大地」)。しかし、保存力を優先した場合、「美」は何処にいくのだろうか。

致命的な死を齎すという理由から私たちはそれを恐れ醜いものと見なし表現する。特に「汚染」という言葉が好んで使われるが、人間の居ない世界の「美しさ」はどう説明されるのだろうか。眼には「見えない」が「汚染」されているとは、「美」においても、芸術は核廃棄物に負けていることではないのか。原発事故に言及した作品の大半が「不気味なもの」であるのは恐怖の反映だけでなく、人間の居ない世界の「美しさ」に対して、私たちが提示出来るものは(あるいは残されたもの)、それを「不気味なもの」と言い換えることだけなのだろうか。

新関の写真には震災の痕跡を読み取れるものと、そうでないものがある。土地勘があれば福島の風景だと気が付くかも知れないが、大半の人は文章による説明がなければ気づかないだろう。もちろん、それらの写真をただの「海」や「里山」として見ることも可能であるし、そうした受け取り方は間違いではない。しかし福島の記録としての文章と写真、つまり意味するものと、意味されるもの、との間にズレがあることはやはり重要だと思う。