お知らせ3つ【お知らせ1】 ポレポレ東中野で2月18日から公開される映画作品、小森はるか「息の跡」のパンフレットに「厄災を書くこと、聞くこと」という文章を書いています。 http://ikinoato.com/ 【お知らせ2】 また「息の跡」の上映に合わせて同館で期間…

「≪波のした、土のうえ≫論」

「引込線 2015」のカタログに、「≪波のした、土のうえ≫論」という文章で参加しています。小森はるかと瀬尾夏美の映像作品について論じたものです。 カタログは、こちらで購入できます。http://www.nadiff-online.com/?pid=95459724 小森はるか+瀬尾夏美の活…

小森はるか+瀬尾夏美「あたらしい地面/地底のうたを聴く」展/ギャラリー・ハシモト

ギャラリー・ハシモトで開催されていた小森はるか+瀬尾夏美「あたらしい地面/地底のうたを聴く」展について。前作(「波のした、土のうえ」)と比較すると、被写体となる人物たちとカメラの距離が一歩踏み込んだ距離、関係になっている印象を受けたが、そ…

新関淳の『フクシマと福島』について

新関淳の『フクシマと福島』について新関淳の『フクシマと福島』(「6号線」のフリーペーパー)は、新関が両親の生まれ故郷である福島県伊達郡川俣町に、友人2人と車を走らせた記録で、写真と文章で構成されている。水平線が強調された写真(車窓の風景を感…

「わが愛憎の画家たち‐針生一郎と戦後美術」展/宮城県美術館

宮城県美術館で開催されている「針生一郎と戦後美術」展について。「戦後美術」を語る時に気を付けなければならないのは、戦後を、それ以前の歴史、つまり戦中と断絶したものとして語ってしまうことだが、この展覧会から感じたのは戦中と戦後の連続性であっ…

震災とリアリズム

震災とリアリズム東日本大震災以降、震災と美術の関係を考える時に、関東大震災と美術の関係が参照されることが多くなりました。しかし、東日本大震災と関東大震災を比較した時に気が付くのは類似点ではなく、相違点です。もちろん、ともに大きな犠牲と破壊…

「バルティス」展/東京都美術館

「少女愛」や「古典」との関係性が強調されて語られることが多い作家だが、種村季弘が『魔術的リアリズム』(PARUKO出版)の中で、マネキンを描いたデ・キリコの絵画の延長線上に、バルティスの硬直した人物たちを見ていたことを思い出せば、バルティスの絵…

書籍「組立‐転回」に拙文が掲載されています。 「震災という未曽有の出来事を経験しても「自然とは何か」という問いが日本の現代美術から発せられないのは何故か」という、無駄に長いタイトルの文章ですが、ご興味のある方は、是非、お読み下さい。 購入方法…

美術と自然−なぜ日本美術は原始回帰するのか−

『所沢ビエンナーレ展2011』のカタログに掲載された文章を訂正したものです。 ##### ##### ##### ##### 美術と自然−なぜ日本美術は原始回帰するのか− 井上幸治●翻訳語としての自然 なぜ日本の美術は原始回帰するのか、それがここでの問…

ゴッホが色彩を肯定するまでの美術史

クロモクラスム(色彩破壊論)と呼ばれる西欧のキリスト教社会における色彩を巡る論争には長い歴史がある。否定派は「神性」を可視的なものとして表現することは出来ないという立場から、色彩を不道徳で虚栄なものと断罪するが、肯定派は色彩を物質ではなく…

「ゴッホ展 空白のパリ時代を追う」/宮城県美術館

ゴッホのパリ時代(1886〜88年)を焦点とした展覧会であるので、晩年の狂気じみた作品は出品されていないが、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館が所蔵するパリ時代の作品郡は十分に見る価値があったと思う。気になったのは石膏像(トルソ)を描いた油彩…

ロマン主義は「いま」と「ここ」の否定から現実性の再確認を目論んだが、日本の現代美術は「いま」「ここ」を肯定しながら、現実を遠ざけ、ありもし得ないユートピアを夢想する。日本の現代美術が夢想するユートピアは観念としての「自然」であるので、実体…

釜石

風間サチコ 展「没落THIRD FIRE」/無人島プロダクション

『噫!怒涛の閉塞艦』という巨大な木版画が展示されていたのだけれども、これは2005年に制作された『風雲13号地』と対になる作品らしい。おそらく『風雲13号地』で予見されていた大艦巨砲主義で開発一辺倒に突き進む日本の「成長神話」に対する危うさが、原…

画家の身分と職分

画家の身分と職分『美術手帳』の10月号で山下祐二が「教育方法を現行の美大システムから、丁稚奉公、徒弟制度に戻さない限り、なかなか超絶技巧を持った作家は生まれてこないでしょう」(「超絶技巧の絵画史」)とコメントしているが、山下の発言には「丁稚…

『美術手帳』(2012.10月号)特集「超絶技巧!!」

NHK出版による本かと思うほど、ここ最近のNHKのテレビ番組(「日曜美術館」など)と内容が重なる特集記事であるのだけれど、山下祐二の「この日本には、時流やマーケットの動向なんてものとはさらさら関係なく、ただひたすら、修行僧のように、自らの技巧を…

石巻 

石巻ハリストス正教会

奈良美智と侏儒趣味

16〜17世紀頃、ヨーロッパの王室宮廷では侏儒趣味、つまり小人に対する偏愛が流行していて、ベラスケスなんかが随分と絵に描いている。この辺の事情については、樺山紘一の「侏儒の王国−異形にやどる英知」(『世界史への扉』講談社学術文庫)を読んでもらえ…

ポロックの「非ヨーロッパ的性格」について

「生誕100年ジャクソン・ポロック展」(国立近代美術館)についてのメモヨーロッパとアメリカという対比からポロックの絵画について考察すると。おそらく両者の一番の違いは、テクストの有無である。ヨーロッパには聖書やアリストテレスといった、常に立ち戻…

『アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語』/宮城県美術館

丸沼芸術の森所蔵の作品群。水彩による習作が多数展示されていたが、それらはデッサンを引き立たせるものではなく、対象を色彩で素早く大まかに捉えることを目的としているものであった。荒目の水彩画紙に染みや滲みの効果を用いて建物(オルソン・ハウス)…

石川雷太展『遊撃〜平成パルチザン』/Gallery TURNAROUND

赤く塗られたベニヤ板に白チョークで文字が書かれている部分だけを採り上げて見れば、「見る」ものとしてではなく、「読む」ものとして、作品が提示されていたと言えなくもないが、イメージの否定(「イメージで世界を描く時代は終わった」)から、「ことば…

産経ニュース:「通行人もびっくり!?死んだ猫をヘリコプターに」(http://sankei.jp.msn.com/world/news/120605/erp12060513050004-n1.htm) 「死んだ猫」の先例としては、ルーブル美術館にあるジェリコーの静物画(「死んだ猫」)を挙げることが出来るかと…

エミリア・ロマーニャ州地震の被災地向け寄付金口座が開設されたようです。 以下、在日イタリア大使館HPより転載(http://www.ambtokyo.esteri.it/Ambasciata_Tokyo) エミリア・ロマーニャ州地震の被災地向け寄付金口座開設先般、北イタリアのエミリア・ロ…

村上隆×椹木野衣「アート憂国放談」(『芸術新潮』2012.5月号)

村上隆について。確か、以前は近代化以前の日本の美術には「ヒエラルキー構造はない」と発言していたと思うのですが、今度は一転して、「日本の歴史において芸能、芸術の徒は非人であり、人ではないものに分類されているにもかかわらず、人間としてのアイデ…

永瀬恭一「脱美学―ブロークンモダンの諸相」(『組立−作品を登る』)

「批評がない」という定型句に対して、「批評はあるけれども構造に従属している」のが現状だという分析と考察は鋭い。おそらく、この論考を通して著者が読者に求めているのは、現状に対する認識の問い直しだけではなく、批評を十分に機能させない「構造」を…

樋口佳絵・絵画展「みずたま」(art room Enoma)

色使いがロマネスク絵画的。意識しているのか、色数を制約しているのかは分からないが、褐色した赤を基調にした色使いで子供の「イコン」が描かれている。ゴシック以降に登場する彩度の高い「青」は見られない。テンペラと油彩による混合技法が用いられてい…

樋口徹写真展「町の跡形」(PICNICA)

ギャラリー・カフェという空間の制約から、窮屈な空間に作品が展示されていたが、津波で流された建築物の基礎部分を撮影した写真郡がベッヒャー夫妻のタイポロジー作品のように組合せられて展示されていたのは印象的であった。ただ写真集『町の跡形』(会場…

テーブルとタブロー

テーブル(table)とタブロー(tableau)の関係性は、tabulaというラテン語の語源から考えるよりも、ゴッシク建築の確立によって生まれた概念、関係性と捉えた方が、より具体的なものとなる。なぜ、ゴシックなのか。ゴシック建築ではステンドグラスという「…

床面について(補足)

床面を、文化を産出する机の下にあるものと見ると、必然的に床は机の文化に対抗、反抗する反文化的な場と見られることなる。しかし床というのは、文化を産出する場であったことはないかも知れないが、過っては世界を表象する場であった。もしかしたら建築を…

境澤邦泰「絵画と視線の行方」(『組立−作品を登る』)

絵画の平面性とテーブルの平面性の関係が、画家の視点から分かりやすく書かれているという点に於いて、非常に優れた文章、論考であると思うのだが、ただ一点だけ、「床面」についての件には少し物足りなさを感じる。床は、ただ足の裏で踏まれるだけの場なの…