椹木野衣「地質活動期の美術」(『文學界』2012年3月号)

椹木はここで戦後の日本の復興を支えていたのは、日本人の勤勉さでも、日米同盟でもなく、これまで「静穏であったがために見えなかった、地質学的な条件」によるものであったとして、これまで使われていた「戦後」という歴史区分の失効を宣言し、新たに地質学的条件をもとにした「静穏期」「活動期」という歴史区分を提唱している。椹木によると1995年の阪神淡路大震災以降の「活動期の美術」のあり方は、文学は「詩」、美術は「肉体」に見出されるようなのだが、馬鹿馬鹿しいのは、まず椹木が言う日本の戦後を成立させてきた「日本ではもう大きな地震は起こらない」という神話というものが、「自分はまったく知らなかった」という当人の無知によって支えられていることである。

椹木は、寒川旭の『日本人はどんな大地震を経験してきたのか』(平凡社新書)によって、日本で起きた過去の大地震の事例を知り、そこから戦後の復興期がたまたま地殻運動の静穏な時期であり、それによってバブルの土地神話原発神話が成立していたと思い至ったようであるが、バブルの土地神話原発神話というのは、明らかに東京を中心した思考によって成立するものであって、大地の地殻運動とは無縁のものである。椹木によると「大地の揺らがなさ」が土地神話原発神話の初期条件であったということだが、土地の価格に地盤の良し悪しが価格に反映されない訳がないし、少しでも土地勘のある人間なら、原発の立地条件の悪さなど直ぐ気がつくことである。しかし、彼はそれを「知らなかった」と言うのである。

なぜ「知らなかった」と言うのかというと、「日本ではもう大きな地震は起こらない」とは、「東京ではもう大きな地震は起こらない」という願望のことでしかないからである。「不動の土地を意識する必要がなかった」とは、実際は「東京以外の土地を意識する必要がなかった」ということであって、「大きな地震」として関東大震災が想定されることがあっても、それ以外の地域のこと知らぬということではないのか。しかし、たとえば今回の震災では東北の人たちの冷静さが賞賛されることとなったが、それは少なからずの人たちが身内に、過去の大地震津波を経験している人たちを持っていたことと無縁ではないように、実際は思われているよりも多くの人たちにとって、地震は「起きない」ものではなく「起こる」ものとして認識されていた訳である。

もちろん「地震は起こる」ものと認識されていても、大きな被害から逃れられなかったのは事実である。認識の甘さが被害を大きくしたとも言える。しかし「地震は起こらない」という願望が神話となるには、「知らない」という無知と無関心が前提とされていることに気をつけたい。なぜなら椹木はここで「活動期の美術」ということを語っているが、地殻運動という自然条件を「下部構造」とみなして美術を語るというのは、これまでの無知と無関心を前提とした「知らない」という立場と、たいして変わらないものであるからである。

たとえば椹木は、ここで地殻運動という人間の意思が届かない自然条件を下部構造に置いて、戦後の復興という経済活動や、戦後の美術という文化活動について語っているが、彼が言うように経済や文化というものが、地殻の静穏期には繁栄し、活動期には停滞するものであるとしたら、経済や文化は、常に土台となる自然に規定・限定されているものであることになる。しかしその場合、文化や美術といった人間の精神活動の自律性はどこにおいて確保されるのであろうか。

自然は人間から自立している。それゆえ自然は人間にとって不条理な存在である。しかし、人間の歴史というのは自然との間に文学や美術を介在させることで、常に自然と向き合ってきた歴史でもある。ところがここでは自然の不条理さを前にして、自然と向き合うのではなく、自然に従属することが選択されている。おそらく当人には、自然を下部構造において美術を語ることの意味が分かっていないのであろうが、自然を下部構造において美術を語るというのは、美術を人間の意志の届かない自然に従属させるということであるので、美術は自立したものでなく、人間の意志とは無関係に変化するものと見なすということである。

しかし、文学や絵画というものは人間の明確な意志によって制作されるものであるので、自然物ではない。そこに自然という人間の意志の届かないものが介入する余地はない。もちろん物質的な制約は受けるが、作品が自然物でないことを保証しているのは、作品の物質性でもある。たとえば「ことば」というのは、身体から発せられるという点において非常に自然に近いものである。この近さから言語神授説が生まれてくるのだが、人間は言葉に文字という物質性を与えることで、それを自然ではなく人間の社会の側のものとしている。ところが椹木は「非常時で肝心なのは読書の楽しみなどでなく、言葉を心に刻み、いつ、どこへでも運べるようになることなのだ」という観点から、言葉(詩)から物質性を剥奪していくのである。

つまり詩であれば暗記が可能であるので、ひとたび暗記してしまえば、物質性に依存しなくてもよいということである。しかし椹木の選択は、「ひとたび暗記してしまえば、その人が生き延びる限り、活きて残り続ける」と言う言葉からも分かるように、「個人の生」を前提としたものであって、「死と共同体」を前提としたものではない。彼が語るのはあくまでも己(個人)の「生」である。しかし「死と共同体」から切り離されていたがゆえに、「地震は起こらない」という神話が成立していたのではないか。そもそも死者に対する視線の無いところで、どうやって詩が生まれるというのだろうか。

たとえば、ここでは「火事場で救うべきは物などではなく、この身体なのだ」という例え話から、「絵画の体験」は「身体の側」にあるということが肯定されているが、「火事場」という緊急時において、我が身を取るか、物を取るかという選択と、「絵画の体験」が「物」にあるか「身体」にあるかを問うことは、本来なら全く別ものの問いのはずである。しかし、ここでは己の生という視点から強引に、身体という最も身近にある自然の側に作品があるとされるのである。

一見すると椹木による、この「詩」と「肉体」という選択は、日本浪漫派の保田與重郎の「肉体による詩的表現」という言葉を思い起こさせるものである。自然主義が何であるかが分からずに、ロマン主義的なものに帰結していくと言うのは、日本近代の大きな特徴であるので、椹木がここでロマン主義的なものに帰結していくとしても、そのこと事態には何ら不思議はない。しかし両者は全くの別ものである。何故なら椹木には詩に対する理解が大きく欠けているからである。保田にとって詩とは、人が神と自然から分離することで生まれる悲劇性であったが、椹木には保田のような詩に対する理解は見られない。あるのは利便性だけである。

保田的理解に立てば詩が発せられるには、神(自然)と人間が対話不能なもの、人間と別離したものであることが直視される必要がある。しかし椹木は、この悲劇性から逃げ出すのである。椹木の自然条件を下部構造におく考えというのは、一見すると自然に向かう行為に見えるかも知れないが、実際は自然と一体化、従属することで、自然と向き合い、対立することを徹底的に避ける行為である。それが目指すのは問題の解決ではなく、問題の解消である。つまり己の生を脅かす悲劇性を、無かったこと、見なかったことにするのである。自然と対立するのではなく、自然と一体化することが目指されるというのは、非常に日本的な選択ではあるが、所詮、それは諦めの思想でしかない。