船戸与一『蝦夷地別件』(全3巻/新潮文庫)
1789年に国後・目梨で起きたアイヌの蜂起を題材とした歴史小説。とにかく面白いのだが、驚かされるのはマホウスキーというポーランド人貴族が登場することで、蝦夷の辺地で起こる出来事が世界史とリンクしていることである。マウスキーの役割は、祖国ポーランドを再分割しようと目論むロシア帝国の脅威を南進論から極東進出論に向けるべく、クリル人(アイヌ)の副族長に三百挺の銃器を渡し日本人とアイヌを戦わせることなのだが、この計画は仲間の裏切りに遭い頓挫する。そしてマホウスキーは逮捕され、獄中でフランス革命が勃発したことを知り、何れは「革命をフランスだけに押さえ込むという名目でロシアとプロイセンがポーランドに進出してくる」ことを予見しなければならなくなるのだが、この物語の面白さは、フランス革命という近代国家の誕生の瞬間が遠くに描かれる一方で、異国の脅威から日本を守るべく、新たな国家像を描こうとする老中・松平定信の思惑も描かれていることである。
松平定信は蝦夷地を松前藩から取り上げて幕府の直轄地にするため、ちょうどマホウスキーがアイヌを利用しようとしたのと同じように間諜を使い、アイヌの怒りを炊きつけ戦を起こさせる。しかし蝦夷地目仕上げという幕府の思惑に気づいている松前藩番頭の抵抗によって、事態は必ずしも定信の思うようには進まず、やがて定信は失脚へと追い込まれていくことになるのだが、アイヌの日本人化だけは着実に進んでいくことになる。「何でもかんでも金銭づくしの世」であった田沼意次の時代に対して語られる定信の新しい理想が、アイヌの社会を金銭の世の中に変えていくのである。ここで語られる定信の理想とアイヌの社会を襲う現実は、フランス革命を「嘘ぱっち」と言い放ちながら、マホウスキーを取り調べる皇帝特別官房秘密局員の「あいつらの言う自由・平等とはフランス人のためだけだ。アフリカや新大陸では適用されない。黒んぼどもからは血と汗を搾り取ることしか考えていないくせに、そんなきれいごとを並べるのは偽善だ」という言葉を思い出させる。
「自由」と「平等」がフランス人のためだけのものであるように、定信の理想或いは、松前藩や商人たちの利益というものは畢竟は日本人のものであって、その理想のためにアイヌの血と汗が絞り取られていく。恭順するものには恩恵が、抗うものには不利益が与えられて、アイヌの古い秩序は壊されていき、やがてマホウスキーから三百挺の銃器を手に入れて和人を蝦夷から追い出すことを画策した国後の脇長人ツキノエは、アイヌ社会の崩壊を「時の流れ」の必然だったとして、絶対的な寂しさの中で死んでいかなければならなくなる。しかしこの物語の救いようのなさは、暗示されるツキノエの死でも、崩壊していくアイヌ社会でもなく、新しい世代の纏め役として期待されていた脇長人の孫であるハルナフリの豹変からもたらされている。
何故、物語の終盤において、誰からも次の世代の担い手として期待とされていたハルナフリが復讐への道へと走るのか。ハルナフリが復讐への道に走ることで、ハルナフリに託されようとしたアイヌの「希望」は、誰にも語られることなく物語は終わることになる。そこで代わりに語られるのは、ハルナフリの復讐を、自分が最早国家から不必要な存在だと判断されたゆえに抹殺されようとしていると勘違いする幕府の間諜者の恐怖である。自身が間諜者であったがゆえに、国家の意思からは絶対に逃れられないという恐怖が、国家という魔物の妄想を生み出す。正に因果応報、四谷怪談ばりの惨劇を呼び込みながら、深川の大川に死体が流れていくさまは圧巻であるのだが、安易な「希望」ではなく、「過去」への復讐が選択されているのは、船戸が『叛アメリカ史』の著者でもあることと無縁ではないのだろう。