樋口徹写真展「町の跡形」(PICNICA)

ギャラリー・カフェという空間の制約から、窮屈な空間に作品が展示されていたが、津波で流された建築物の基礎部分を撮影した写真郡がベッヒャー夫妻のタイポロジー作品のように組合せられて展示されていたのは印象的であった。ただ写真集『町の跡形』(会場でも一部が作品として展示されていた)を見ると、必ずしも作品をタイポロジーとして見せようとする意図がある訳ではないようで、コントラストが激しい画面に作家の主観性が強く反映されている。被災地の臨場感を伝えてくれる写真ではあるが、気になるのは震災という出来事の大きさからか、被写体との距離感が見失われていると思われる作品が多々見られること。震災を「記録」することを主題・目的とすることはよいのだが、被写体との距離感を見失うと、震災という圧倒的な出来事に作品が支配されてしまうのではないのか。多少、酷な要求かも知れないが、瞬発性が要求される報道写真でないからこそ、妥協しない冷徹さが必要とされるのではないだろうか。