テーブルとタブロー

テーブル(table)とタブロー(tableau)の関係性は、tabulaというラテン語の語源から考えるよりも、ゴッシク建築の確立によって生まれた概念、関係性と捉えた方が、より具体的なものとなる。なぜ、ゴシックなのか。ゴシック建築ではステンドグラスという「光の壁」の登場によって、壁面から絵画が追い出されることになるから。壁面から追い出された絵画は、板の上に描かれ、建築内に(例えば祭壇画として)飾られることになる。これはゴシック様式の反発から壁面を確保し続けたイタリアとは対照的。ルネッサンス期のイタリアで、フレスコ画が黄金期を向かえ遠近法が確立されるのは、壁画が描かれる壁面が確保されていたから。では、ゴシックを受容したパリ以北では何が起こったか。そこでは書き直しがきかないフレスコ画では追求することが出来なかった「緻密さ」の追求が始まる。油彩画が、フレスコが全盛であったイタリアではなく、北方の国で確立されたのにはそれなりの必然性がある。しかし、ここで問題としたいのは、この緻密さを用意したのは「写本装飾」であり、写本装飾こそがテーブルとタブローの出会いの場であったのではないかということである。ゴシック期にパリを中心として発達する写本装飾に、ゴシック建築を意識した装飾レイアウトや、ステンドグラス的な色使い(赤と青の使い方)を確認することは容易いが、ここで重要なのはゴシックを肯定的に受容した文化圏では、絵画表現の主要な場が写本装飾であったことである。もっとも写本装飾は、ミニアチュールと呼ばれる緻密な細密画を描く画家と、二次的な装飾文字を描く職人による分業作業であったので、絵の部分はテーブルの上でなく、イーゼルで描かれていたかも知れないのだが、テーブルの側に属する文字とタブロー(絵画)が同一面上に同居していることには注意したい。もちろん、ここでテーブルと机の違いを論じてもよいのだが、両者の違いというのは、むしろ絵画と言葉が還元不能な関係にあることにあるのではないのか。絵画と言葉が還元不能な関係であるので、絵画は机=言葉から離れ、テーブルの表層へと向かう。絵画と言葉。両者を結び付けていた物語の失効がこの動きを加速させていく。