ポロックの「非ヨーロッパ的性格」について

「生誕100年ジャクソン・ポロック展」(国立近代美術館)についてのメモ

ヨーロッパとアメリカという対比からポロックの絵画について考察すると。おそらく両者の一番の違いは、テクストの有無である。ヨーロッパには聖書やアリストテレスといった、常に立ち戻るべきテクストが存在するが(これによりルネサンス宗教改革といったものが可能となっている)、アメリカは、ヨーロッパを否定するために、この部分を切り捨てた。アメリカは、構造主義や人類学を総動員して、ネイティブ・アメリカンに代表されるような「無文字社会」を自らの文化の基盤、土台とすることを選択する(歴史から構造への転換)。ポロックのインディアンに対する関心(たとえば砂絵)が、どの程度のものであったのかは不明だが、ポロックの作品の評価に対する背景に、こうしたアメリカの文化的戦略があったことは想像に難しくない。特に重要なのは「無文字社会」というアメリカの文化的戦略が、結果としてことばとイメージ(絵画)という、ヨーロッパの絵画が抱える問題を解消してしまったと思われる点である。

聖書の「はじめにことばがいた」とい箇所からも分かるように、キリスト教というのはことばの宗教である。しかし、ことばというのは文字として視覚化されると、非物質的なものから、物質的なものへと変わる。さらに中世の装飾写本に見られるように、その内容に見合うだけの装飾性が与えられると、それまで「読む」対象であったはずのものが、「見る」対象となる。今日では、視覚の優位性が疑われるということはないが、視覚の優位性というものが確立されるには、神やことばという非物質的なものに、物質性が与えられて、それらが視覚化されるだけでは不十分であって、視覚化されたそれらのものが、「読む」対象ではなく、「見る」対象と認識される必要があった。しかし「無文字社会」を前提とした絵画では、「見る」という行為に、「読む」という行為が関係してこない。そこでは「見る」ことは、「見る」ことでしかない。であるから、ポロックの絵画は「見る」ものであっても、「読む」ものではない。では、「見る」ことしか可能でない絵画とは何なのか。このことを考える前に、もう一点、ポロックの作品に見られる非ヨーロッパ的性格を指摘しておく必要がある(もしかしたら、こちらの方が重要な点であるかも知れない)。それは「触覚」の有無である。

ヨーロッパというか、キリスト教世界においては、「絵画の発生」というのは、「聖顔布」という奇跡を前提として語られるものである。ここでいう奇跡とは、「マンディリオン」とか、「ウェロニカ」と呼ばれるもので、それはキリストの身体(顔)に直接触れた布にキリストの顔が奇跡的にコピーされたもののことを指す。ここで重要なのは、実際にそのような奇跡が起きたのか、どうかではなく。モーセ十戒(「あなたはいかなる像を造ってはならない」)で知られているように、キリスト教というのは、本来は偶像を禁止している宗教であるのに、実際には、絵画や彫刻という美術品が作られており。このことをどう正当化するのかという時に、「奇跡」ということが、その理由とされたことである。人間の手によって描かれたのではなく、キリストの身体に触れられた布に、本来なら不可視な存在であるはずの神の姿がコピーされたこという奇跡から、それを母型としたイコンが生産されていくのだが(ギリシャ正教でイコンの形式が守られ続けているのは、こうした理由からである)、ここで重要なのは、神という不可視な存在が、触覚によって視認化されているということである。つまりキリスト教世界では、神やことばという見えないものが、視覚化されるには、触覚を通さなければならなかったということである。

キリスト教というのは、ことばの宗教であるから、視覚の上に、ことばが位置することには不思議はないと思うが、視覚の上に、触覚が位置するのは、聖遺物に対する信仰が非常に強いので、触れるということが、とても大事にされていたからである。従って、イコンというのも、口づけをしたり、手に触れたりするものであった。つまり、本来なら見えない神の姿が触覚により視覚化されるだけでなく、それに触れることによって、見えない世界、つまり神の世界に近づくというサイクルが存在していた。視覚というのは、今でこそ、その優位性が疑われることはないが、もともとはことばという非物質的なものを聞くことが可能な聴覚、そして触覚に次ぐ、三番目に位置するものであって、今日の視覚の優位性が確立されるのは、比較的最近のこと、トレント公会議以降のこととなる。視覚の優位性が確立されるに従って、当然、イメージ(絵画)に触れることが出来るのは、それを制作する画家だけの特権となるのだが、ポロックは、この画家だけに許された特権を破棄するのである。