『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』/サントリー美術館

ここでいう「光と影」は、王権と法王権の対立と考えると理解が進むかと思う。どちらが光で、どちらが影なのかということは、当事者からしたら常に自分たちの側が光で、相手方が影となることなので、あまり真剣に考えても仕方のないことなのだけれど、歴史的な事実だけをいえば、王権(政治権力)が法王権(宗教権威)に打ち勝って近世が始まることになる。このことが美術の領域において、どのような意味を持つのかを問うことは大事なことである。しかし、それを問うことは難しい作業でもある。なぜ難しいかというと、キリシタン弾圧というものが、あまりにも徹底していたので、世俗権力にとって都合の良い作品しか残っていないからである。こうした事情は本展においても同じである。       

つまり「南蛮美術」とはいうけれど、世俗の権力者たちにとって都合の良い世俗画、たとえば南蛮屏風などは残ってはいるが、王権にとって都合の悪いもの、宗教色の強い作品は、ほとんど何も残っていないので、キリスト教美術が日本でどのように受容、生産され、それが日本美術にどのような影響を与えたのかを知ることが困難となってしまっているからである(確か「未生」という言葉を使う美術評論家が、日本にはイコノクラスム(偶像破壊)がないと言っていたと思うのだが、実際は、そうした事実があったこが忘れ去られてしまうぐらい徹底した破壊が行われていたのである)。

こうしたことは狩野孝信、狩野山楽(伝)、狩野内膳の南蛮屏風の作品状態の良さと、かろうじて残った聖画の状態の悪さを比較してみても分かるだろう。しかし、それでも南蛮屏風に見られる海を表す群青と黄金の組み合わせは心地良く、それが描かれた時代が大航海時代に通じる時代であることを思い起こさせる。細部も丁寧に描かれており見ていて楽しいものであるのだが、宝船のごとく描かれている南蛮船と、疾風する南蛮人たちの姿は、目新しい文物をもたらす「マレビト」そのものであって、「マレビト」というのが、「マレ」に来るから歓待すべき対象であって、居座れては困るという存在であることを考えると、何処かその後の彼らの運命を暗示しているようでもある。             

『泰西王侯騎馬図屏風』は、遠近法や陰影法が使われていることよりも、これほど大きな人物像がこの時代の日本で描かれていたという驚きがあった。また日本の展覧会にしては珍しく、光学的な調査が行われていて、展覧会カタログに詳細な学術報告がなされていたので、全体的に好感が持てる展覧会であったと思う。


※日本のキリスト教美術については、若桑みどり聖母像の到来』(青土社)で、非常に優れた研究報告がなされている。