11月11日 曇り

震災から8ヶ月。震災当初、震災とは自分が経験した大きな「揺れ」のことであり、それが震災についての全てであった。しかし震災とは、自身の身体的な経験を意味するものなどではなく、人間の日常的倫理・道徳を超えた自然に、人間がいかに抵抗し、それを克服していくかを意味しなければならないものであった。このことを私は沿岸部の被災地で知った。何故、被災地の風景に唖然としてしまうのか。それは人間が徹底的に自然から「拒絶」されている姿を眼にするからである。徹底的に拒絶されているので言葉が奪われ、呆然としてしまうのである。しかし人は、これに抵抗しなければならない。抵抗して言葉を取り戻さなければならない。自然と人間との間にある障害を意識することなく、抵抗することもなく語られる言葉や美術を無闇に信じてはならない。それらは単なる観念の遊戯でしかない。