『トゥールーズ・ロートレック』展/三菱1号館美術館
ロートレックのリトグラフには、どこかドミーエの風刺画を思いおこさせるものがある。しかしロートレックが描く人物は、ドミーエのような形体をデフォルメすることで、人物の内面や本性を戯画(カリカチュア)することを目的としたものではない。それは劇場やカフェといった都市の中にある密室的な空間の闇の世界から、人物の内面性を人工的な光によって、闇の中から浮かび上がらせ暴くものである。そうした意味でいうと、ロートレックはドミーエよりドガに近い。しかしロートレックには、ドガのような人体に対する執着は見られない。ロートレックの作品には、ドガの作品にはあまり見られない、ルドンやムンクを思わせる象徴的な要素が多い。たとえば『盆を持つ女−朝食』で描かれている赤毛の女は、非常にムンクを思いおこさせるものである。しかしロートレックの描く人物は、ムンクとは違い、人物の内面性と自然と共鳴し合うことを拒んでいる。ロートレックの描く人物たちは、自然に背を向け、都会の闇の中で孤独にいることを選択している。それを照らしだすのは人工的な光だけである。
闇の中から浮かび上がる『アリスティド・ブリュアン』は、写楽の『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』を彷彿させるが、ロートレックと写楽の違いは、ロートレックには、写楽が苦しんだ判の制約、作品サイズの制約がないことである。もちろんそれが商業ポスターである以上、まったく制約がないわけではないのが、浮世絵との関係性を考えるとき、ロートレックが大きさの問題を克服しているということは、非常に重要なことである。