松井みどり「土の感触、想像力の目覚め」(美術手帖2010.7月号)

美術手帖』(2010年7月号)に掲載されている松井みどりの「土の感触、想像力の目覚め」について。奈良美智の作品について論じているようなのだけれど、「霊性」という言葉が多用されている割に、それがどういう定義で使われているのかが曖昧である。一般的に「霊性」というのは、超自然物に対する意識なり感情のことであると思うのだけれど、ここでは人間と自然とが未分化な状態であるアニミズム的世界が絶対的に肯定されているので、「未だ目に見えないが確かに感じられる霊的存在」という、どう考えても自然ではなく超自然物に対する意識なり感情も、「超越的な存在である仏とは対象的に、古代の神とは、草や木、川の流れや土の養分のうちに宿る、生命の力の現れであった」と、超越性を否定した地平で、それもギリシャ神話と同列な神話として語られている。

おそらくここで仏教的要素が排除される理由は、仏教にある日本古来の宗教にはない時間意識(末法思想)が邪魔だと思われるからである。もっといえばここで否定されているのは、キリスト教的要素、つまり直線的な時間意識である。ここでは時間意識を排除することで、「今ここ」という非歴史的な「空間」を確保することが目指されている訳なのだが、特徴的なのは、それが「神、人間、自然」という三秩序から、神を排除することで成立していることである。ここでいう「神」とは、超自然あるいは超越性ということであるのだが、何故、キリスト教的(あるいはヘブライズム的)時間意識が排除されて、運命の輪廻に自己を閉鎖するギリシャ的(ヘレニズム的)神話世界が目指されるのかというと、それはこのテクストの文末が、「世界の機械的合理化に抵抗する生命力や精神の働きを、子どもの感覚や自然のうちに探る表現の今日的意義について考えさせる」という言葉で纏められていることからも分かるように、西欧の合理主義(若しくはキリスト教世界)に対する批判が根底にあるからだと思われる。

しかしここで疑問なのは、おそらくここでいう「機械的合理化」とは、精神と身体とを区分することで、自然機構の法則に支配される身体を、精神の自由意志をもって機械的に支配しようとしたデカルトに体現される近世思想に対する批判だと思われるのだが、20世紀思想が自己支配と自己完成を目指したデカルト的な近世思想にたいして、如何にして自我を自我から開放するのかという批判、展開であったと考えてみた場合、松井には、デカルトの目指した自己支配、自己完成に対する批判というものが見当たらないことである。松井に見られるのは明らかに「私」に対する固執であって、自己を自己から開放する要求ではない。デカルトにおいて「自我」とは、何よりも「思考」することを前提としたものであったが、ここでは「子ども」という、特に日本においては人格が認められていない存在を用いて、現代思想が目的とする個我的ヒューマニズムの克服という問題が放棄されてしまっているのではないか。

ここで重要なのは「機械的合理化に抵抗」云々ということが言われているが、松井が奈良の作品に希求するアニミズム的世界には、たとえばヨブ記に見られるような、非合理性、不公平性、が見られないということである。神や超越性或いは超自然といった人間に一切の妥協を許さない存在を排除すれば、人間に苦悩をもたらすことのない「合理的」な世界が現れると思っているとしたら、オメデタいというしかないのだが、何故、自然が人間にとって非人間的で背理的なものとしてでなはく、人間的なものとして、一方的に擬人化されて理解されるのかということは大事である。

確かに個我の自覚の上に成立する近世思想には、自然科学を媒介にして自然を支配としようとする意志が存在するが、近代思想や近代自然科学というのは、このような人間中心的宇宙観から脱却して、人間と自然とを相対化するものであると理解されるべきものである。然るに、松井の想定するアニミズム的世界では、人間と自然とが未分化な状態を超えることが望まれていないので、人間と自然との関係が相対化されることがないのである。何故なら、確かに自然と敵対しないというのは、非常に日本的な自然観ではあるが、それはあるがままの自然と直面することがないということでもあるので、そこには自然に対する畏怖があるかも知れないが、一方的に自然を擬人化して都合よく解釈するというエゴがあるということである。

実際、日本人の自然破壊の酷さというのは、この辺に起因するものだと思われるのだが、ここで一番問題なのは、西欧の合理主義に対する批判が、浅はかな「原始回帰」「自然回帰」に拠ってしまっていることである。何故、「原始回帰」「自然回帰」を持ち出せば、それが西欧や合理主義に対する批判になるという、安易な考えが生まれるのかというと、それは一言でいえば歴史意識が欠乏しているからだと思われる。