アンチ・ヒューマニズム

『PARFUM』という香水の専門雑誌(154号)に、随筆を書かせてもらいました。記事が掲載される雑誌が夏号ということでしたので、昨年の初夏に訪れたシチリア島のチェファルーという町で見た地中海を念頭にした文章を書かせてもらったのですが、チェファルーというのは、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で、青年主人公が故郷を捨ててローマに旅立つシーンなどが撮影された町です。パレルモから電車で一時間掛からずに行くことが出来ますので、今はそれなりに観光化していますけれど、とてもきれいな漁村です。

この町の中心には初代シチリア王に建てられた大聖堂があるのですが、この大聖堂の内部にはビザンティン美術屈指のモザイク画が残されています。これは美術史においても重要な作品なのですが、感銘したのは、それがそこに制作されるのに必要とされた自然を拒絶する意志の強さです。そこには地中海の光で充満した世界を拒絶する、石の世界があります。もちろん自然の光を隔絶した石の世界の中には、自然の光とはちがう形而上的な世界の光があるのですが、そこにある自然を拒絶する意志には、ヘレニズムとヘブライズムの相克というヨーロッパを形成する姿がありました。

フェルナン・ブローデルは大著『地中海』の中で、たえず循環し回帰する地中海の自然環境から(「ほとんど動かない歴史」)、「緩慢なリズムを持った歴史」へ展開する歴史を階層的に描いていますが、この「ほとんど動かない歴史」から「緩慢なリズムを持った歴史」への飛躍こそが、西欧の偉大さである気がします。しかし日本では、自然に人格を見ることが疑われるということが殆どありませんので、人間と自然との間に線を引く、ヨーロッパの自然観は非常に分かりにくいものだと思います。

私自身それまで言葉では知っていても、それがどういう事なのかを実感出来たのはこの時がはじめてでした。おそらく自然との間に線をひくという行為からは、自然軽視ということしか読み取れないと思いますが(実際、西欧の行き過ぎた合理主義に怠慢があります)、日本の自然に人格や人間関係を平気で持ち込む姿勢よりも(たとえばお花見)、そこには自然と直に対面する姿勢があることを理解しなければならないと思います。アンチ・ヒューマニズムということの意味が分からなければ、西欧が何であるかは分からないだろうし、芸術も生まれないというのが私の考えです。

※追記
『PARFUM』誌は、普通の書店では販売されていないようなので、ご興味のある方はこちらまでご連絡してみて下さい。
http://www.parfum-specialist.com/index.html