「絵画を絵画として見る」ことの難しさ

宮城県立美術館で開催されていた展覧会は、おそらくピカソの作品がもっとも多く出品されていたことと、ピカソという名前の知名度(集客力)から「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」という展覧会名であったと思うのだけれど、ピカソの絵画において重要なのは、描写対象の形態から自由であるということではなくて、「線」が先行して画面を作っていくということであると思われるので、ピカソは、20世紀美術の王様であったかも知れないが、20世紀美術の「形相」(線)から「質料」(色彩)へという展開の流れからは、実はちょっとはずれたところがある。たとえばキュビズムのような、非常に実験的な試みにおいても、色彩は慎重に排除されているし、ブラックのように線が後退して、線と面の役割が逆転することもなく、常に線が主張しているのがピカソの絵画の特徴である。おそらくピカソには、色彩と線描を区分するという意識がなかったので、色彩という質料的なものが問題とされるということがなかったのだと思う。

それにしても今回、この展覧会を見て改めて思ったのは、「絵画を絵画として見る」ということの難しさである。「絵画を絵画として見る」ということの難しさというのは、一言でいえば日本には作品がないということである。作品がないので、その背後にある思想なり理論なりを語るしかないというのが、日本の美術の現状である。もちろん日本と西欧の距離を今さら嘆いても仕方ないことなのだけれど、戦前においては、主に作家の人格(天才性)に還元され語られていた作品が、戦後は一転して理論や方法に還元して語られることになるのは、日本の近代美術の失敗による反省もしくは反動だと思われる。作品を無視したテクスト主義には、作品を介在させないで、作品の背後にある方法なり理論を語る傾向があるので、本来なら言葉に還元できないはずの絵画が、非常に容易く語り易いものになってしまうという問題点がある(ここでもっとも厄介なのは、言葉に還元出来ないはずの絵画が、テクスト理解から作品が生まれることが可能だという錯覚が蔓延してしまうことである)。

しかし実際は「絵画を絵画として見て」語るということは、非常に難しい作業である。作品を介在させなければ、たとえばピカソならキュビズムデ・キリコなら形而上絵画という視点で語ることが容易いになるのだが、作品を前にして、それを語るというというのは、そう簡単な作業ではない。まず何よりも言語に対する信頼がなければ、本来なら言葉に還元出来ないはずの絵画を語ることなど出来ないだろう。しかし残念なことに、日本の美術批評の領域では、作品を言葉に置きかけえて語るという作業の訓練がほとんどなされていない。日本に作品を語れる批評家が少ないのは、作品を無視して、ラカンヴィトゲンシュタイン等の語りやすい言葉を器用に援用して絵画を語るイデアリストが多いからである(ここで一番問題なのは、彼らはそれらの言葉を器用に援用して使うことは出来るが、そこで提出されている問題を共用することが出来ていないということである)。

なぜ今日、作家の言葉(問題意識)が異常に評価されるのかといえば、それは言葉に還元し難い作品を語るよりも、そちらの方が容易い作業であるからである。そこには絵画を語ることの「断念」があると思われるのだが(たとえばVOCA展というのは、なぜか平面の多様性ということが、やたらと強調される展覧会であるのだけれど、なぜ絵画でなく平面なのかといえば、それは技法の多様性をもって、平面の可能性を語っている方が楽であるからであると思われるのだが、特異な素材や技法を用いた作品が好まれ評価されるというのは、絵画を語ることの「断念」が、批評の側にあるということの証でしかないだろう)。
絵画を語ることを「断念」して、作品の存在を無視するということは、ゴッホの絵画を、複製画と書簡をもって理解していた小林秀雄が、アムステルダムで本物のゴッホの絵を見たときに、「絵としては複製の方がよい」といってしまった時代と、大差ないことを意味していないだろうか。