『奇想の系譜』(2)


『奇想の系譜』に登場する画家たちが活躍した江戸時代というのは、狩野永徳をトップにしたヒエラルキー構造が美術の世界にある時代なのですが、この永徳を画聖とする封建的ヒエラルキー構造というのは、狩野派が、徳川幕府という「世俗」の政治権力と一体であったことを意味します。なぜここで「世俗」という言葉を強調して使うのかというと、江戸時代というのは「世俗優位」の時代であったからです。「世俗優位」というのは、世俗内の倫理に絶対的な価値を与えて、世俗を超えた超越的なものを否定することです。これは「鬼神」を語らない儒教的な立場によるものですが、西欧ではトレント公会議以降、特にカトリックの世界では、ルネッサンの世俗性が否定されて、超越的な世界が志向され始めますので、両者はとても対照的です。幕府のキリスト教に対する弾圧や、仏教に対する寺檀制度というのは、幕府の儒教的倫理主義と関係があるわけですが、これは江戸時代の身分制度が維持されるには、宗教統制が必要だったからだと思われます。

ここで問題となるのは、『奇想の系譜』では岩佐又兵衛狩野山雪伊藤若冲曾我蕭白長澤蘆雪歌川国芳という画家たちが、狩野派の枠組みの外にいる画家たちとして登場してきますが、狩野派の枠外にいるということは、狩野派が幕府と一体である以上、それは儒教的倫理主義をもとにしたヒエラルキー構造の外側に出るとうことです。実際、江戸時代には脱俗して、つまり出家して、ヒエラルキー構造の外側に出てしまう文化人というのが沢山いるわけです。仏教の世俗を否定する態度というのは、神道儒教の側から批判されますが、現世主義、合理主義だけではやっていけなかったわけですね(もっとも仏教に対する批判、不満というのは、廃仏毀釈において爆発しますから、簡単に無視出来る問題ではありません)。

ここで重要なのは、『奇想の系譜』に登場する画家たちが、実際に出家脱俗していたのかということではなく。もし「奇想」という概念が成立するとしたら、それは「世俗優位」に対する批判としてではないのかということです。ところが『奇想の系譜』では、こうしたことは問題とされていません。何故なのかというと、失礼かも知れませんが、それは辻惟雄という人は、「奇想」、あるいは「怪怪奇奇」という言葉を使うけれど、実際は「怪力乱神を語らず」の人だからだと思います。この人は可知的なものしか見えないし、語れない人なのだと思います。たとえば辻は、「奇想」には「陰」と「陽」の両面があるということ言いますが、「陰」より「陽」の方が「重要な意味を持つように思われる」と言うわけです。なぜかというと、そこには問題を深化させるより「奇想」という概念を曖昧なままにして、それを大風呂敷的に広げて美術史を語る方が得策だという計算もあるかも知れませんが、それ以前に「世俗優位」ということが否定しきれないからだと思います。

なぜ「世俗優位」ということが否定しきれないかというと、それを否定してしまうと、「民衆の貪婪な美的食欲」というようなことが言い難くなるからです。江戸時代を町人文化が勃興した時代と捉えたときに、それを支えているのは現世主義や合理主義であると見ていた方が、「民衆の貪婪な美的食欲」という事が言い易くなるわけです。もちろん、そこには為政者に対立する「民衆」という対立軸があるでしょうが、そこに為政者には管理し得ない現世超越的な世界まで侵入してくると、「奇想」というのは「陰」と「陽」に分裂するしかなくなるわけです。だから「奇想」という概念は、問題を掘り下げて深化させるより、曖昧なままの方が都合が良いわけです。基準とされているのが世俗を肯定する「倫理」であって、超越的なもの、不可知なものでないというは、辻惟雄を理解する指標になるかと思います。