椹木野衣『「私」という贈与』

美術手帖』(2010.3号)に掲載されている、椹木野衣による森村泰昌についてのテキストについて。

ここで椹木は、森村泰昌を日本の現代美術における「異人」と規定することで(「彼はあきらかに異人だった」)、そこから、そもそも日本の美術自体が「西洋美術にとっては常に異人的であるほかなかった」のであるから、この異人性を「排除」するのではなく、「みずからの問題」として、「西洋から遠く離れた異人種がなぜ、わざわざ「美術」をやっているのかという主体形成の問題」を説くことで、森村を論じているのだが。分かりにくいのは、おそらくここで問題とされる「主体形成」とは、18世紀中葉に登場する、先行する知識や規範には頼らず、芸術家自身が芸術の源泉であることを求める「独創論」に依拠するものであると思われるのに、何故か、ここでは一般的に「独創論」を論じるときに問題とされる、「共有物―私有物」といった対概念ではなく、「西欧―日本」という対概念が問題とされていることである。

ここでは「共有物―私有物」といった対概念から、作家の「独創性」が論じられるのではなく、まず「西洋人でない私」が、「西洋美術」を論じることを拒否する態度から(つまり「借り物の知識」を「共有物」として語ることを拒絶することで)、「私」の対となる概念は、「西欧」ではなく、「日本」であることが表明されるのだが、ここではたとえ「日本」に、「西欧」に還元されることのないオリジナリティーがあったとしても、それらは既に歴史的に「断絶」しているのであるから、そもそも日本には、「共有物」として語ることが可能な「美術」や「美術史」などないとされて、「共有物―私有物」といった対概念が成立すること自体が否定されてしまう。

「共有物―私有物」といった対概念が成立しないということは、当然ながら「共有物―私有物」といった対概念を、「内容―形式」という対概念に対応させない。また、ここでは夏目漱石を引き合いに、「個」と「国家」の関係が述べられているが、「共有物―私有物」といった対概念が拒否されている以上、そこで「公と私」が問題となることも難しい。そこにあるのは「孤立」した「個」だけである。一見すると、この「私」に対する椹木の強迫観念的な固執、あるいは純粋主義は、「権威」を否定し、模倣性や先行する規範に従うことを否定する、近代芸術の原理を彷彿させるかも知れないが、たとえばカントが「範例的独創性」ということを言っているように、それがどんなに非歴史的で独創的な作品であったとしても、先行する作品や歴史(美術史)を前提としない、作品などありえないのである。

実際、ここではあらゆる共同体、美術史、歴史が否定されているが、この純粋主義に残されるていのは、「譲渡」不可能な「身体(肉体)」だけである。何故、椹木が、森村泰昌という「原像―模像」関係が明確に分かる作家の作品から読み取るのが「肉体」であるのか。しかも、この「肉体」は、作品と観者の鏡像関係から、「私」であると読み換えられることになるのだが(「森村の身体とは鏡に映ったわたしたちの身体でもある」)、この「肉体」とは、自己を積極的に「異人」と定義することでしか確保することが出来ない、「身体(肉体)」でしかないのである。自己を「異人」(あるいは周縁者)と定義することでしか確保(占有)することが出来ない、「身体(肉体)」をもって、「私」を叫ばなければならないところに、日本の現代美術の限界があるのではないのか。