鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人|東京オペラシティ アートギャラリー

鴻池朋子展「インタートラベラー神話と遊ぶ人」

違和感を覚えたのは、「物語」ということが随分と叫ばれていたのだけれど、ここでいう「物語」とは、絵画の外での出来事を指示すものであって、それは半ば強制的に会場の入り口と出口を「始まり―終わり」と見立てることによって導入された「時間」のことでしかないということである。

ここで「物語」と解釈されているのは、本来なら、時間的に何の関係性も順序性もない作品間に、強制的に持ち込まれた「始まり―終わり」という順序のことであって、それ以上でもそれ以下でもない。

絵画というものは(そこに何らかの物語が描かれていることを確認出来るとしても)、ネルソン・グッドマンの言葉を借りれば「無時間的」なものであって、そこには「出来事のシークエンスも語りのシークエンスもないのである」*1

たとえば西欧の教会内部に描かれる聖書の物語を、私たちは聖書の物語の順序に従って観なければならない法があるのかといえば、そのような順序も出来事もないのが絵画であるのであって、作品と作品の間に優先的な順序をもうけて、それを物語だとか想像力といって喜んでいる方が間違いなのである。

*1:ネルソン・グッドマン「ねじ曲げられた話―あるいは、物語、研究、シンフォニー―」(『物語について』、W.J.T.ミッチェル編、1987年、平凡社