「レオナール・フジタ」展

レオナール・フジタ」展(http://leonardfoujita.jp/index.html)/せんだいメディアテーク

藤田嗣治の絵は遠くから見ると、驚くらい凡庸である。藤田の絵は、「線」が確認出来る距離まで近づかなければ、意味をなさない。遠くから眺められるということが全く考慮されていないので、淡い陰影で人物の肉体や背景が暗示されてはいるが、そこには効果的な明度対比がないので、ひとたび線が確認出来ない距離まで離れると、見事なぐらいに形と色が消失してしまう。

藤田の絵が観客に求めるのは距離の喪失である。しかし、距離を必要としない絵画に強度など生まれるはずかなく。ここに彼の絵がグラフィックと評される理由があると思うのだが(偶然かも知れないが、会場で売られていた絵葉書はみな部分図であった)。線というものを重視している割には、線に強弱がなく。全てが等価に描かれるので、近づくことを要求している割には、そこにあるのはヴォリュームのない裸体であって、例えば浮世絵に見られる様な、顔、手、足、という人体の部分を表す繊細な線と、人体のそれ以外の部分を隠す衣装の大胆な線との組み合わせと対比の面白味がないと言える。