劇団航海記『夏空の光』

『夏空の光』(劇団東京観光)という劇のポイントは、生者が死者を見送るのではなく、死者が生者を見送る視点のドラマであるところにある。たとえば死者を乗せた列車といえば当然、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が思い出されるが、『銀河鉄道の夜』はカンパネルラ(死者)ではなく、ジョバンニの側にたった視点で読み進められていく物語であるので、読者はジョバンニと共に、カンパネルラの死と死の列車の旅の意味を、物語の最後に知ることになるが、『夏空の光』は、「あの世(ひがん)」と「この世(しがん)」の中間点にある駅、見連駅から、現実の世界に帰っていく生者を、死者が見送るドラマであるので、ここでは「死」ではなく、「生」を、観客は死者と共に見つめることになる。

この劇の特徴は、観客が、劇場という異空間に入り込み、舞台を眺めると、はじめはなぜ自分がそこに(見連駅)降り立ったのか分からずにいる、舞台上の登場人物(女性)と同じ視点で、そこが何処であるのかも良く分からないまま、劇場という異空間に作られた「この世」でない世界で繰り広げられる、やたらとハイテンションな劇を眼にしていたはずなのに、やがてそこが「この世」に何らかの未練をのこした人物が、「あの世」に行く前にたちよる見連駅(みれんえき)だということを、そこが何処であるかを知らずにいた女性と共に知ることになると、今度は一転して、女性(生者)の視点から離れて、女性が死に別れた父への思いから誤って「あの世」に来てしまった女性であることを知った、死の国の住民たちと同じ視点で、父への思いを打ち明けた女性を見送ることになるところにあるのだが、観客も終演と共に劇場を後にして、現実の世界に戻った女性と同じように、現実の世界に戻らなければならない。

劇中の女性が自分の心に抱いていた未練、思いが何であるかを知り、現実の世界に戻っていくのとは対照的に、観客は自分が心に抱いている思いを知ることなく、現実の世界に戻っていかなければならない。しかし観客は、他者が心に抱いていた思い、悲しみを、死者と共に知ることが出来たはずである。それだけで十分ではないだろうか。震災後のこの世界で、死者と思いを共有しながら、この現実の世界を見つめ、そこにまだ誰にも知られていない悲しみがあることを知ること、これ以上求めることがあるだろうか。たとえこの悲しみに対して私に出来ることがなくとも、そこにまだ気づかれていない悲しみがあることを知ることは出来るということを、教えられた劇であったと思う。