平家物語』的にいうと、これからはじまるであろう東京電力の没落というのは、「悪因悪果」による必滅として、後世語られることになるだろう。しかしこの平家公達ならぬ、東電公達たちの「栄華」と「おごり」とを許していたのは、ほかならぬ私たちの社会である。『平家物語』において、平家一門の没落は、王朝秩序に対する悪行の因果として語られている。しかし平家一門の滅亡とは、実は王朝世界の滅亡を意味するものであって、華麗なる平安の世は平家と共に水中に消えていく。同じようにこれからはじまる東京電力の没落は、これまで原子力政策を推進し、栄華を我が物としてきた原子力村の原発王朝(政府、官僚、学者、地方行政)を滅亡に導くだろう。しかし後白河法皇の死を待たなければ、鎌倉に武者の世が確立されなかったように、「反原発」というものがこの国に確立されるにのは、まだまだ時間が必要とされる。なぜなら、どんなに頼朝に実力があったとしても、一人の人間の死を待たなければ、平安貴族の世から、武者の世への移行が完了しないのが、「革命」というものがないこの国の、変化のプロセスのあり方であるからである。