大震災から二ヶ月。

テレビをつけると、相変わらず「がんばろう」とか、「日本は一つ」という声が聞こえてくる。でも助けを求めている人たちに、「がんばろう」という言葉を発するのは、「我慢」を強いられている人たちに、さらなる「我慢」を強いるだけではないのか。「日本は一つ」と言うけれど、本当は東北に現れた非日常的な世界が、自分たちの側に反転してくるのが怖いだけではないのか。日常と非日常の境界を見たくないから、「日本は一つ」、「大丈夫」「安全」と連呼しているのではないのかと、つい悪態をつきたくなってしまう。一番不甲斐ないのは、日常を装いながら過ごしているけれど、失われたものの大きさに戸惑うことしか出来ない自分であるのだが、震災によって変わると思った社会が、何一つ変わらないことへの不満。なぜ変わらないのか。変われないのか。そのことを考えなければならない。