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4月13日 晴れ
阿部謹也的に言うと日本にあるのは「世間」であって、「社会」というものは存在しないということになるのですが、この「世間」はあるが、「社会」はないという視点から、日本の美術を見てみると。たとえば日本の近代文学が、近代文学が成立するのに必要不可欠な社会がない日本において、近代文学を成立させるために文壇という似非社会を作ることで「私小説」というものを可能としていたように、日本の美術も、画壇という似非社会を作ることで、近代美術というものを成立させていたということが出来るのではないでしょうか。
画壇、あるいは現代美術という似非社会において語られる「私」と、西欧的な意味での「個」の違いというのは、西欧における「個」が、積極的な社会性を前提としたものであるのに対して、日本での「私」は、社会性ではなく、徹底的な自己不信の表明となっているところにあります。
本日、ガス復旧。