シラクーサ 12月31日(金)

晴れ。ホテルで朝食。ノートに行く予定だったのだけれど、ホテルの窓から海を眺めていたら出掛けるのが億劫になったので、予定を変更してオルティジア島をゆっくり見て歩くことにする。


■大聖堂

オルティジア島にある大聖堂は、アテネ神殿を再利用した聖堂なので、正面にバロック様式ファサードが飾られているが、聖堂本体はバシリカ様式で、神殿を支えていたと思われるドーリア式の円柱が身廊と側廊を支えている。内部は採光口が見当たらない仄暗い空間で、交差部と右側の側廊の奥にバロック様式の祭壇が設けられているが、それらはまるで神殿内に間借りしている祭壇のようである。おそらく円柱が支える身廊と側廊に垂直性を強調した空間を確保することが出来なかったのだろう。祭壇が隅に追いやられているので、ここにはキリスト教建築に特有の垂直性を利用した空間の広がりが見られない。ここにあるのは牢獄に閉じ込められたような圧迫感である。もっとも静かに瞑想し祈りを捧げるだけなら、これほど適した場はないだろう。しかしそれでは救いを演出出来ないと感じたのか、あるいは重力だけでなく、重層的な歴史をも支えている柱の姿に、異教的な雰囲気が漂っていることを嗅ぎつけたからか、どちらであるかは分からないが、おそらくそうした諸々の点を補うために、後世にファサードや祭壇が付け足されたのだと思う。


■サンタ・ルチア教会

大聖堂の近くにあるサンタ・ルチア教会のファサードは、大聖堂のそれと比べると地味なファサードである。大聖堂のファサードは二層構造のオーダーで、上下に双子柱が配置されているが、ここには入口の両脇にねじれ柱が見られる程度である。しかし教会内部に入ると、大聖堂では見られなかった空間の広がりを眼にすることが出来る。床一面に敷かれた白タイルに、白い漆喰の壁、共に軽さが強調された素材で、視覚的に重力というものが軽減されている。壁から天井までの間に視線を遮るものはなく、高い天井に眼を向けると、バロック特有の楕円形のドームがある。

バロック建築に「楕円」が登場する背景には、コペルニクスの地動説に代表される、新たな世界認識の登場があると思われるのだが、注意しなければならないのは、それ以前の世界を支配していたモデルが通用しなくなったからといって、直ちにそれが「神の死」を意味するものでないということである。確かにコペルニクスの地動説は、地球を宇宙の中心の座から引きずりおろした。しかしそこで新たに見出された世界は何かというと、それはジョルダーノ・ブルーノの言葉でいえば「中心も、周縁も、上も下もない」、ニュートンの言葉でいえば「絶対空間」である。

絶対的な空間とは、それはそれ以前の世界を支配していた階層的なモデルとは違い、人間を地上(重力)に縛り付けない空間認識のことである。故にバロック建築は世界を「中心も、周縁も、上も下もない」、重力から開放された世界と理解し、その内部に重力を無視して天上に向かおうとする空間を持とうとしたのである。たとえばローマにあるサンティニャーツィオ聖堂の天井画がそうであるように、そこでは絵画と彫刻が建築と一体となって、天上の世界を目指すイリュージョンが形成されることになる。そこで求められるのは、数学的な正確さである。数学的な正確さとは何かというと、それは視覚的な正確さのことである。数学によって計測可能となった世界は、無限に広がる空間として認識されることになり、世界は爆発的に拡張することになる。


■カラヴァッジョ『聖ルチアの埋葬』

サンタ・ルチア教会の祭壇にあるカラヴァッジョの『聖ルチアの埋葬』は、目線より上の位置に展示されているので、画面手前に描かれた二人の墓堀が掘っている穴から見上げるような形となっている。作品は縦長の画面で、画面上部に広い空間が広がっており、人物たちが画面の下半分に集中している。普通に考えれば縦長ではなく、横長の画面に描いたほうが適切だと思われる構図となっているのだが、画面左手の奥に描かれたアーチの下降線が視線を下へと導くので、視線が画面上部に空いた空間に向かうことを防いでいる。

このアーチの下降線は画面最下部に描かれた、死して大地に横たわるルチアの、ちょうど切断された首の位置に下りて来る。中央で俯く人物の視線も赤い衣装によって可視化され、ルチアに向かって落ちている。ここで唯一視線を上げているように見えるのは、画面手前の左側に描かれた墓堀だけなのだが、その視線も視線の先にいる司祭の視線に跳ね返されてルチアの亡骸へと向かう。視線は下降する線に導かれて、大地に横たわるルチアと出会い。そして縦長の画面の中に水平性が確保されていることを発見する。水平性を発見した視線の先には、二人の墓堀(特に右側の墓堀の視線)が暗示する大地の底がある。

ここで視線を下へ導いているのは「重力」で、視線の先に描かれているのは重力(あるいは死)から逃れられない人間の肉体である。しかしそれはバロックが無視したものでなかったのか。「手段と目的」という観点からすれば、作品が教会の祭壇を飾るために描かれている時点で、それは建築の領域に従属しているものであるはずである。しかしキャンバスに描かれた絵画には、その内側に独自の秩序を確保することを可能とする枠組みがある。それは建築と一体となってイリュージョンを作り出す天井画とは違い、建築の領域に従属しながらも、同時に全く別の秩序を内包することを可能としているものである。

ここで言う「建築の領域」を、「時代」や「制度」の領域と読み替えてみてもよいだろう。何故なら、真に「自立」した作品というのは、時代や制度に従属していても、同時に全く別の秩序を内包しているものなので、そこから切り離されても、作品として成立するものであるからである。ところが日本には絵画や彫刻が建築の壁面から自立する歴史というものがないからか、作品に自足した秩序を形成することよりも、時代や制度に対する不満を表明することが優先され、それが美術だと思われている不幸がある。

夜、外食に出掛けたら、何処の店も予約で満席状態のため、大晦日の夜にまさかの食料難民状態。幸いホテルの近くの宅配ピザ屋が開いていたので難を逃れる。テレビでリミニ・コンサートを見ながら新年を迎える。年明けと同時に、花火と爆竹音が響きたる。ドゥオーモ広場の音楽祭をちょっとだけ覗きに行く。