シラクーサ 12月30日(木)

晴れ。ホテルで朝食。歩いてマリーナ門近くの観光案内所へ行き地図を貰い(有料)。バンカーリ広場からバスでネアポリ考古学公園へ移動。古代ローマ円形闘技場ギリシャ劇場を見てまわったが、ギリシャ劇場はタオルミーナで見たものの方が、円形闘技場はアルルで見たものの方が、ともに印象強いものであった。歩いてパオロ・オルシ考古学博物館に移動。アグリジェントで国立考古学博物館を見ることが出来なかったので、その分丁寧に見てまわろうと思っていたのだが、膨大な量のコレクションが展示されているのに、開館時間が13時までと異常に短いので途中から駆け足状態となる。

古代ギリシャの黒絵式や赤絵式の壷に見られる伸びやかな線は、どれも見ていて楽しい。描かれているのは神話の世界を題材としたものが大半なのだが、それらは男性的で武骨である。しかしギリシャには、男性的なものだけでなく、たとえばアフロディーナのヴィーナスの様に、女性の人体をしっかりと表現したものもある。ここに見られる豊かな人体表現というのは、中世のビザンティンやロマネスクの「神を尺度とした」時代の美術には絶対に見られないものである。そこにはとても同じヨーロッパとは思えない隔たりがあるのだが、15世紀のルネッサンス人が、古代ギリシャを再発見した時の驚きというのは、如何様なものであったのだろうか。

もっともルネッサンスというのは、「人間キリストの再発見」でもあったので、それを単純に古典(ギリシャ)の発見・復興と考えることは難しい。日本ではルネッサンスというと、やたらと「近代」的な側面ばかりが強調されるが、実際は宗教的に熱い時代であって、アリストテレスが再発見された12世紀の、いわゆる歴史学が言うところの12世紀ルネッサンスという観点から見れば、15世紀ルネッサンスには、アリストテレス的理性に対する不信、あるいは挫折から、神秘主義的なプラトン主義を選択するしかなかったという背景がある。

ここでキリスト教徒と新プラトン主義の親近性を指摘する気はないが、西欧近代の合理主義の出発点に、「理性に対する不安」というものが内包されていたことは指摘しておきたい。いうまでもないが合理主義とは理性的ということである。しかし西欧には、この理性に対する不安というものが常に存在していた訳である。果たしてルネッサンス以降の美術史を、何処まで近代的(理性的)であったと言えるのだろうか。どちらかと言えば、それは常に理性に対する不安の表明であったような気がする。

バスでオルティジア島に移動。州立美術館に向かう。美術館は改修工事が終わって綺麗な状態になっているが、カラヴァッジョの『聖ルチアの埋葬』はサンタ・ルチア教会に展示されているので、アントネロ・ダ・メッシーナの『受胎告知』以外にはこれといって見るべき作品がない。アントネロの『受胎告知』は伝統的な構図に従って右にマリア左に大天使ガブリエルが配されている。優れた作品であることは間違いないが、パレルモにある『受胎告知のマリア』と比較すると驚きが少ない、というより聖胎を告げられるマリアが単独で、しかも正面から描かれているパレルモの『受胎告知のマリア』が特異過ぎる作品なのだと思う。

夕方、改修中のテアトル周辺の路地を歩いていたら、マヨルカ焼きの工房兼ショップがあったので覗いてみる。手頃な値段で良質な作品が売られていたのでタイル焼きの壁時計を一つ購入。ホテルで夕食。隣のテーブルは貸し切りで、イタリア人ファミリーが正装して会食をしていた。