『明治の彫塑 ラグーサと萩原碌山』展/東京芸術大学大学美術館

萩原碌山の『坑夫』と『労働者』には驚きがある。これらの作品にみられる大胆な決断、つまり「断片化」された人体というのは、人体をプロポーションするという思想がなければ下せない判断である。そこには多くの日本人が直面した西欧との肉体的な差異という問題を超えたものがある。そこで問題とされているのは、日本人の肉体の「貧弱さ」などではなく、いかに人体をプロポーションして、そこにヴォリュームを与えるかということである。そこには西欧との肉体的な差異に躓いた高村光太郎のような作品が矮小化していく要素は見られない。そこにあるのはほとんど化け物と形容するしかない作品(『労働者』)であるのだが、それは多くの日本人が西欧彫刻の本位を写実性にあると誤解し、小器用さをもって、それを追及していたなかにあって、西欧彫刻の根底にあるのは「比例」と「量魂」であるということを、碌山が正しく理解していたという証でもある。