風間サチコ展『平成博2010』

無人島プロダクションで開催中の風間サチコの展覧会について。大作が多い風間の展覧会としては、小さなサイズの作品で纏めた感じがする展覧会であったが、ウィットに富んだ独特の風刺画には、随所に風間ならではの鋭い批判精神が見られる。以前から、風間の作品には松本清張ばりの「昭和史発掘精神」を感じていたが、清張作品の面白さが緻密な取材と検証を基にした推理にあるとしたら、風間作品の面白さは、ターゲットとした事件なり人物の物語を延命させて玩具にしているところにあるだろう。

風間がターゲットとするのは、「日本列島改造計画」、「満州国」、或いは「大日本帝国」と、どれもみな壮大なフィクションの上に立脚した歴史(昭和史)である。風間はこれらの歴史的事件・出来事を支えた物語のフィクショナルな要素を断罪するのではなく、その物語の架空性を徹底的に延命させることで、昭和史に対する独自の批判を試みるのだが、その様には何処か自分の玩具を必要以上に玩ぶ子供の残酷さがある(例えば、今年のVOCA展に出品されていた『大日本防空戦士 2670』では、「2670」という皇紀2670年を示す数字が、この国に「敗戦」は訪れてはおらず、「大日本」という壮大なフィクションは続行中であるということが示さており、今回の『平成博』では、故小渕首相が冥界から召喚され、小渕の死から始まる日本の政治的混迷が描かれている)。

もう一つ、風間には都会の路上観察者としての優れた一面がある(例えば『点景 H.L』シリーズなど)。風間の作品に見られるミリタリズムは、もちろん先の大戦に対する批判でもあるのだろうが、それは彼女が生活し観察する世界(東京)に侵入し、その世界の平穏を脅かそうとする者に向けられた眼(銃口)でもある。もっとも風間が都会の優れた路上観察者であるということは、彼女がほとんど田舎や地方社会を知らないということでもあり、実際、風間の作品に見られる田舎や地方社会、或いは自然に向けられた目線というのはかなり一方的なものである気のだが、風間には、これからも東京を主戦場として活躍してもらいたいと思う。