4月2日 
ここ20年ぐらいの日本の社会にあった閉塞感というのは、たぶんに空間的な閉塞感であって、そこから開放されるには国外に出るという選択肢ぐらいしか、これまではなかったと思うのですけれど。震災後というか、原発事故の後では、関東から関西に移動するだけでも、自分が居る場所と違う日常があるということを経験出来ると思われますので、移動できる人は積極的に移動して、空間的閉感から開放されるということがどういうことかを経験すべきだと思います。


4月3日 晴れ
近所のスポーツジムで震災後はじめての風呂。それまでは卓上コンロなどでお湯を沸かして、タオルで体を拭いたり、頭を洗っていたりしたのですけれど。自分でもびっくりするぐらい垢が出ました。ガスの復旧が待ち遠しい。


4月4日 晴れ
日本国内に滞在する外国人のフットワークが早かったのは、彼らが臆病であったからではなく、彼らの方が我々より空間に対するハードルが低いからです。空間に対するハードルが低いとは、退去や撤退が早いということだけを意味するものでなくて、それはたとえば日本のメディアと大差ない時期に、海外のメディアも現場に入り、今現在も現場に残って取材を続けているという観点からも考えなくてはならない問題である。


4月5日 晴れ
床屋で散髪。いつもは何も喋らない無口なオヤジさんが、今日は「街中はちょっと不便なだけで被災地じゃないよね」と、珍しく話しかけてきたので少し会話をしてみたら。どうやらご親族が沿岸部で被災されたようであった。「海だから、仕方ないよ」という一言に、「諦観」という言葉しか浮かばない。


4月6日 晴れ
松島。比較的津波の被害が少なかったという話であったのだけれど。いたるところに津波の爪あとが残っており、想像を絶する津波のエネルギーに唖然としてしまう。ただ海だけは、以前と変わらず美しかった。夜、少し大きな余震。「ゴッゴッゴッー」という地響きが耳に残る。


4月7日 晴れ
深夜に大きな余震。地震という言葉では形容しきれない揺れ、あるいは暴力的な力。停電の中で、ラジオを聴いていると、戦時中は常にこうした緊張感と隣り合わせであったのだろうなと思うと同時に、戦争を経験して乗り越えて来た人たちの強さを実感する。


4月8日 晴れ
朝、電気が復旧。街の中は以前の地震の時より落ち着いていた雰囲気であったが、余震による被害は思いのほか酷いようであった。地震で道路がガタガタの状態なので、自転車のチェーンが簡単に外れてしまう。


4月9日 雨
仙台にいると、「放射線」については被災した沿岸部の距離の近さから気にしている「余裕」がない、というか気にするだけの「選択肢」がないのなのだけれど。「安全」「大丈夫」と言いながら、恐怖心から現地に入らない日本のメディアは論外。


4月10日 晴れ
駅前の家電屋へ行ったら、思いのほか先日の余震で電気器具が破損した家庭が多かったようで、多くの客がレジに列を作っていた。スポーツジムで一週間ぶりの風呂。夜、にんにくと玉ねぎをオリーブオイルで炒めてから、市販のイカ墨ソースとホールトマトを混ぜてパスタにあえてみる。