システィーナ礼拝堂

ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画について(メモ)

システィーナ礼拝堂の特徴というのは、支持体となる天井が筒型のヴォールト天井であるので、三角小間(スパンドレル)、側面の傾斜面を支える帆型壁(ヴェーラ)、その下の半月型壁(ルネッタ)と、複雑に分割された画面に旧約聖書の物語を描き、それを全体として構成しなければならないことである。

しかし、ゴンブリッチが『美術の物語』の中で「あふれるばかりの人物で埋めつくされた天井画を写真版で見ると、全体が、収拾がつかないように見えるかもしれない。ところが驚くべきことに、システィーナ礼拝堂に入って、この内部空間をひとつの壮麗な装飾体として見ると、この天井画はすっきりと調和がとれ、構図も明快そのものなのだ」と描写してみせたように、この床から約18m上方に位置する天井画を「下から見上げる」限りに於いて、それらは見事に建築的な調和が与えられており、よほど注意深く見なければ、ヴォールトの構造上生じる諸問題を確認することは難しい。

特に湾曲したヴェーラの曲面に難なく、「預言者」と「巫女」を描いてみせるミケランジェロの技量には感嘆する他にないのだが、この湾曲した曲面に、下からの視線(仰画法)を想定して描かれる「預言者」と「巫女」のプロポーションというのは、実際に礼拝堂の床の上から見上げて見ると、写真図版と大きな違いがあることが分かる。

写真図版で使われている写真というのは、それが曲面に描かれていることを気付かせない写真であるからなのか、それとも床の上から見上げる視線とは異なる位置から撮られているからなのかは分からないが、何処か人物の比例が窮屈で不自然な感を与えるものが多い。*1 ところが礼拝堂の床から見上げてみると、そこには写真図版で感じるような窮屈さや不自然はなく、伸びやかなプロポーションで描かれた人物たちのスケールに圧倒されることになるのである。

例えば祭壇の真上に描かれている「預言者ヨナ」。この最早、巨人と形容するしかないほどのスケールで描かれた人体のプロポーションというのは、明らかに「下から上を」仰視して見上げる視線(仰画法)から導かれ描かれているものであるのだが、ミケランジェロが「預言者ヨナ」や「リビアの巫女」に於いて示すヴィジョンの壮大さ、スケールの大きさが後世に与えた影響というのは計り知れない。

ヴァティカン美術館にある、カラヴァッチョの『キリストの埋葬』や、同じくカラヴァッチョの作品でナポリのカポディモンテ美術館にある『キリストの鞭打ち』、これらの作品に見られる人物のスケールの大きさというのは、ミケランジェロの「預言者ヨナ」「リビアの巫女」、或は「預言者エレミヤ」といった作品がなければ考えられないであろう(カラヴァッチョの絵画というのは、ウィトルウィウス的人体比例の良い見本であって、描かれる人物のスケールがそのまま支持体の大きさ(サイズ)としてある)

「ソッティンスー Sottinsu」と呼ばれる仰画法というのは、日本ではあまり問題とされることがないが、西欧の絵画を考察するにあたっては非常に重要である。何故なら、壁面に飾られる絵画には、それがどんなに大きな絵画であろうと(或は小さくても)、観者に作品との間を行き来して作品との距離を変える自由があるが、天井画には観者に作品との距離を変える(縮める)選択権がなく。そこでは始めから作品との「距離」が決定付けられており、下から上を見上げるという、明らかに作品を観賞するには不自然な姿勢を観者に要求するものであるからである。

ここに見られる「作品―観者」の垂直間係というのは、「作品―作家」という間係に於いても、「作品―観者」という垂直間係と同等の、あるいはそれ以上の困難を、作家に要求するものである。ここでいう困難とは、歪曲した曲面に(不自然な姿勢を強いながら)「下から投影」される像を破綻無く描くことなのだが、ここで重要なのは、絵画というものが成立するにあたって絶対的な「距離」が必要条件とされていることである。

ヨーロッパ絵画に於ける「距離」の重要性とは、その間係が「垂直間係」から「平行間係」へと移行しても変わらない。それは美術史を紐解けば分かることであるのだが、ミケランジェロの非凡さ偉大さというのは、絶対的な距離を必要として見られる絵画にスケールだけでなく、ヴォリュームを取り入れたことにある(「預言者ヨナ」に見られるヴォリュームは、「ベルヴェデーレのトルソ」を連想させるのに十分だし、「預言者エレミヤ」はドラクロワの造形性の源になったのだろうと思う)

最後の審判」について

青を背景にしたこの壁画は、さながら津波のようである。ここに見られる群像にはルーベンスに大きなインスピレーションを与えたことだろうと思わせる運動性があるのだが、この壁画の特徴というのは上昇性と下降性が同居することで、天井画と観者との間を繋いでいることである。もっとも、どちらかと言うとそれは「クライシス(危機)」を予感させるものであるのだが、その役割は小さくなく、一つの統一性を与えている。

*1: 若山映子によると、礼拝堂訪問者が眼にする視線で撮影された資料というのは、若山が撮影許可を得るまで(2004年)、ヴァティカンの写真資料館にもなかった様である。若山の『システィーナ礼拝堂天井画−イメージとなった神の慈悲―』(東北大学出版社 2005年)で使われている写真図版は、実際に礼拝堂を訪れたときに眼にすることになる画像を知るのに最良である。